この時、山崎がこの後、世界を震撼させるテロ事件に巻き込まれることになろうとは知る由もなかった。
二〇一六年が始まった。
スリーマイル原発事故、一九七九年三月二十八日から37年目、
チェリノブイリ原発事故、一九八六年四月二十六日から30年目、
福島原発事故、二〇一一年三月十一日から5年目。
日本では、三つの人類が経験した悲惨な原発事故の記憶が風化、再び日本政府と電力会社による新しい美しい完璧な安全神話が創られ原発再稼働が始まった。そうした日本を震撼させるテロ事件の準備が、中東の砂漠のテントの中で密かに進められていた。イスラム国は有志連合アメリカ、英国、フランス、ロシア、ドイツなどと共に、有志連合国の友邦としてイスラム国に対し「宣戦布告」した日本でのテロを実行に移すことを決定。
その攻撃目標は、再稼働したばかりのプルサーマル型の福井県の近畿電力の高岡原発三号機と、佐賀県の筑紫電力の巌山原発三号機。イスラム国は、攻撃した場合には、従来の軽水炉よりプルトニウム・アメリシウム・キュリウムなどの超ウラン元素の放出量が多くなるプルサーマル原発を選んだ。時期は、日本海側に多くの原発が立地するので、日本列島に放射性物質を広く飛散させる偏西風が強く吹く五月に決定。世界中が注目する、イスラム国テロ対策を話し合う伊勢志摩サミット開催当日と定めた。イスラム国は、大型ドローン六機に生物兵器と爆弾を搭載して空からのテロ計画を立案。脆くひび割れた石棺と呼ばれるコンクリートで覆われた、チェリノブイリ原発テロ攻撃計画を断念、全くの無防備とも言える日本の原発を攻撃する戦略に変更した。
自爆テロを決行する意思を固めたテロリスト十二名がシンガポール発のLCC航空の飛行機にて福井空港から日本に潜入し、イスラム国を支持する在日北朝鮮特殊工作組織から必要な情報を手に入れ、福岡市内と福井市内に、韓国博愛光のキリスト教会支部という看板を掲げたアジトにて、着々と準備をすすめた。
五月二十四日、伊勢志摩サミットに出席するG7の各国首脳たちが伊勢国際ホテルに集結した。皇太子殿下主催の晩さん会が行われた夜の深夜、イスラム国のテロリストによる、生物兵器と爆弾を使用した同時多発原発テロが決行された。テロ攻撃による破壊ターゲット施設は使用済核燃料冷却プールと放射能廃棄物施設、送電線施設、非常用発電施設及び燃料タンク施設であった。
いずれの原発も原子炉本体は無傷であったが、巌山原発三号機の破壊された使用済核燃料プール施設から多量の放射性物質の塵が偏西風にのり、事故後一時間で福岡市、北九州市上空に拡散した。その日のうちに北部九州及び山口、四国の愛媛県と徳島県は避難勧告が発動される放射能汚染地域となった。
一方、福井県高岡原発三号機から飛散した放射性物質の塵は二時間後には大阪や京都などの関西まで拡散し、五時間後には伊勢志摩サミットが開催されていた伊勢半島まで放射能による汚染地域が拡大した。原発テロ事件発生から30分後に、各国の首脳たちは自衛隊が緊急に手配した大型ヘリに乗り、関西空港に無事に避難、自国の政府専用機にて関西国港から次々と秘密裏に帰国した。
日本の原発は自然災害については、多重の安全システムを組み込んだ設計を基に建設されている。その結果、どんな地震や津波でも安全だという完全なる安全神話の下で、狭い国土に五十四基もの原発が建設された。その安全神話は、東日本大震災でもろくも崩れた。しかし、政府は福島原発事故の汚染水による放射能漏れや廃炉や、住民救済も完了させぬまま、電力会社救済のために、原子力安全委員会が新しく作成した安全神話をマスコミに流させ、次々と再稼働を開始した。その矢先の原発テロである。
原発テロは日本の原発安全設計ではほとんど考慮されていない。特に空からの攻撃については無防備に近い。これは当初から政府内部の機密文書で指摘されていたが、コストを優先する電力会社の意向で先送りされ、決して公表してはいけない機密事項となっていた。
山崎は阿蘇の龍上川地熱発電所の会議室にて原発テロのニュースを聞く。
≪本日未明に福井県の高岡原発三号機と佐賀県の巌山原発三号機に対する同時多発テロ攻撃がありました。昨年暮れに、北九州市の安岡工業戸畑工場から盗まれた大型ドローンが犯行に使用された模様です。犯行声明がイスラム国のサイトに掲示されていますが、現在のところ北朝鮮工作員組織の可能性も指摘されています。犯人グループは警察官三名を射殺し、現在高速船で釜山方面に逃走中です。原子炉本体に損傷がありませんでしたが、放射能使用済核燃料プールに被害があり、多量の放射性物質が飛散した模様です。強い偏西風の影響で高濃度の放射性物質の塵が福岡市及び北九州市に流れています。該当する地域の皆さまはただちに南九州の方向に避難してください。もう一度繰り返します。放射能物質を多量に含む塵が福岡市及び北九州市方面に飛散しています。当該地域の皆さまはただちに南九州方面に避難してください・・・・公共の交通機関はすでに閉鎖されました。車での・・・・・混み合う・・・・高速道路は・・・》
山崎は兄の会社のドローンが使用された原発テロ事件発生に驚いた。楽しいはずの兄たちの北欧のクルージングの旅が中止され、その上、兄の工場も被災する。兄夫婦が帰国するには三日はかかるだろうと思い、山崎はただちに北九州に戻る決意をした。北九州に向戻る車の中で突然ミッキーマウスの着信音が流れだし、モニター画面に電話が入ったという文字が出た。
山崎はフリーハンドで車を運転しながら話をした。兄からの電話であった
「誠一か、・・・つながって良かった。戸畑の本社から原発テロの話を聞いた。わが社の製品が使用されたらしい。至急帰国するが、お母さんも一緒だろうな」
「いや、それが・・昨晩、血圧が198あったので、留守番するって・・・」
「一緒に阿蘇に行くといってじゃないか・・・お母さんが心配だ・・・」
「今、北九州にもどっているところだ。俺も、さっきそのニュースを聞いたばかりだ。政府は、スピーディの放射能汚染予想マップをやっと発表した。事故から六時間、何がスピーディだ。今の風速で放射性物質が拡散される場合、風向きが西寄りに変化すれば二十四万人の住む佐賀市、そしてさらに西に変われば四十キロも離れていない百十八万人都市の福岡市が一時間で汚染され始めることを示している・・・・」
「俺は今、海の上だ。バルト海を航行中のクルーズ船にいて動けない。すまんが、母を頼む」
「わかった。いつ帰れるんだ?」
「明日の朝、ヘルシンキの港に寄港する。本社が手配した切符で、フィンランド航空で明後日には成田に着く。福岡直行便は福岡空港が閉鎖されてとれなかった。東京から新幹線で帰るので到着は三日後になりそうだ」
「放射能の雲がそのころ東京にまで拡散しなければいいけど・・、ISの犯行声明のサイトでは『炭疽菌の生物兵器を使用した』と書いてあるけど、政府は何も生物兵器について発表していない。大丈夫だろか?」
「たぶん大丈夫だ。重油タンクの大爆発で死滅したはずだ。今回使用された炭疽菌は2グラムで、大きさは2ミクロン、一兆五千億の炭疽菌が含まれ、八千から一万個の菌が肺に入ると肺炭疽を発症する。二十万人を死に至らせる量だが、生物兵器は濃度が殺傷能力にもろに関係しているから、薄まるとほとんど効果が出ないんだ。これは日本人に恐怖を与えるために使用したんだ。むしろ、これから拡散する放射能が心配だ」
「2グラムで、二十万人か・・・ずいぶん、詳しいね・・・」
「会社で、農薬散布用の人工頭脳搭載、運搬荷重百五十キロの大型ドローンが、生物兵器に使用される場合のあらゆるケースについて防衛省と十分協議したからね・・・」
「お兄さんのドローンは防衛省がらみ? ということは米軍も?」
「・・・・・」
兄はその質問には無言で答えた。仕方なく山崎は別の質問をした。
「お姉さんは?」
「絹子は落ち着くまで、この船で待機させる」
「それがいい。日本がどうなるか、被害情報を少しも政府は流さない。『今のところ、ただちに身体に深刻な影響は無い』と繰り返すばかりだ。状況が少し、わかってから帰国させたほうがいいと思うよ。姉さんは英語がはなせるの?」
「片言ならできるし、何とか船の中で飯は食える。だから、あと十日は大丈夫だ。それより、母を頼む」
「OK」
「ところで、会社は大丈夫?」
「わからん、電話が通じないんだ。会社よりも母が心配だ。じゃ切るからな」
「母が心配だ」、会社だけに命を捧げて、働いてきた兄がそんな言葉を口にするとは、山崎は嬉しかった。やはり家族だ。
人間は危機の時に本当の自分が現れる。兄貴のことを誤解していた自分が恥ずかしかった。
山崎は車から、自宅にいるはずの母親に安否を確認する為に電話をしたが不通。不安のまま車で北九州市に向かう。途中、高速道路は汚染が広がっていない安全な地域に避難する南下する車で混雑していた。
しかし、北上する車はほとんどなく、思ったより早く母の待つ実家に到着した。無事だった母を無理やり車に乗せ、北九州市を後にしたのは、テロ発生から十二時間後であった。山崎は車が少ない久山から大牟田に抜けるルートで友人が温泉旅館を経営する湯布院に向かった。
夕陽に輝く久住連山の懐かしい山並みが見えてきた。阿蘇で行われた、地熱エネルギーを促進するニューサンライズ計画の阿蘇掘削レースに参加した頃の出来事が、鮮明に脳裏に蘇ってくる。あの時、日本が地熱エネルギーを利用して無限の自然エネルギーである地熱資源を促進していれば、このような災害を被ることは無かったのだ。バックミラーに映る老いた母の姿を見ながら、同じ大学で日本史を専攻するアメリカ人のスミスから言われた言葉を思い出した。
「日本人は起こってほしくないことは絶対に起こらないと盲目的に信じる民族。日本人は歴史から何も学ばないということを僕は日本の歴史から学んだよ」
広島と長崎の原爆被災で二十一万人の民間人の命を失った経験や、福島原発事故で今でも十万人がいまだに故郷に帰還することが出来ず、故郷を失う経験をしても、わずか四年で再稼働される原発。
山崎は思う。
「もし、出来るならあの三十年前の日本に戻りたい」と。あの時も、政府は大きくエネルギー政策を変えようと動き出していた。チェリノブイリ原発事故の教訓から、原発に依存しない石油に代替する自然エネルギー推進をめざしたニュ-サンライズ計画が動き出したあの頃・・・。由布盆地が望める高台に車を止めて、三十年前の記憶を思い出そうとしていた。目の前には朝霧に包まれた由布盆地が広がっている。山崎はこれが現実だとは思いたくなかった。すべてが夢の中だと思いたかった。長い苦難の日々が始まった。
第二十四章 金継ぎ
悪夢のようなテロ事件から、四年が過ぎた。
日本は見事な奇跡の復興を遂げた。この背景には、二〇一七年からアメリカやカナダから安いシェールガスやシェールオイル、経済制裁を解かれたイランからの原油やロシアからの天然ガスが輸入されるようになり、日本経済が大躍進し、元気を取り戻した。株価も32000円台を回復していた。
二〇二〇年、五十年ぶりの東京オリンピックの開催の日を迎えた。これは、二〇一六年に誕生した台湾の親日の女性総統、蔡英文の呼びかけで、台湾・インド・インドネシア・ベトナム・フィリピンなどの親日・反中のアセアン諸国などが中心になり、国際世論を動かした成果であった。二〇一七年、中国は、習近平体制が軍のクーデターにより崩壊し、七つの軍の将軍たちが治める連邦国家になった。
歴史をひもとくと未来が見える。アドルフ・ヒットラーが率いるドイツ帝国が首都ベルリンでオリンピックを開催したのが、一九三六年、それから九年後の一九四五年に連合軍に負け、ドイツ帝国は崩壊し、西ドイツと東ドイツに分断された。ソビエト連邦がオリンピックを開催したのが、一九八〇年、その九年後、一九八九年、ベルリンの壁が崩壊し、分断された。中国も二〇〇八年にオリンピックを開催し、その九年後二〇一七年に分断した。歴史は繰り返す。情報を遮断する独裁国家が世界中から情報と人が集まるオリンピックを開催すると、九年後に異変が起きるという不思議な原理が働き、国が分断されるのだ。
かつての旧中国であった七つの連邦国家から、三つの国、チベット共和国・ウイグル共和国・上海国民共和国なども日本支援する国々として参加し、《日本復興を支援、アジア再生》をサブテーマにしたオリンピックをという機運が盛り上がり開催にこぎつけた。しかし、一番の原因は中国の分裂により、日本がふたたびアメリカに次ぐ、世界二位のGDP大国に復活して、アジアの盟主に返り咲いた事である。
旧中国が投資したインフラ事業はすべて凍結され、日本に事業継承と融資をもらうことをアセアン諸国は熱望した。
放射能汚染で被災した九州も少しずつであるが日常を取り戻そうとしていた。
原発テロによって汚染された西日本地区では、画期的な放射能を無害化する技術が実用化されて、広域の放射能汚染除去作業が進められている。
その技術とは次のような技術である。水を不規則な振動で撹拌しながら陰陽の両極を同じ水槽内で電気分解すると、HHOガスと呼ばれるガスが発生する。火をつけると、「爆発」の逆の現象、つまり、「爆縮」し温度を下げるという不思議なガスである。このガスを使用して放射能を無害化するのだ。
原理は電解ガス発生場に振動を加えると発生したHHOガスが乳化状のマイクロナノバブルになり、 その微泡の中心から正、反ニュートリノなど情報量子エネルギーが湧き、正ニュートリノの作用で別の物質が生成する。このガスにより物質の元素番号を減らしたり増やしたりして物質を変化させる。放射能物質を無害化する革新的技術である。例えばこの技術を使えば、放射性物質である原子番号55のセシウムが原子番号56のバリウムという胃潰瘍のレントゲンに使用される放射性の無い安全な無害化された物質になる、下町の工場の発明家の八十歳の大政龍二博士が、二十年前から有明工業大学と合同で開発を進めていた研究が花開いた技術である。
福島原発事故の除染の際にも政府に提案していたが、地方大学の技術であると採用されなかった技術であった。あらゆる学会が東大を頂点とする中央中心の派閥で構成されている。こうした常識を覆す研究や発明や発見は地方の大学や町工場の技術者から生み出されるのが日本の現状である。チェリノブイリ原発に隣接する汚染された水源の無害化実験をこのHHOガスを使用し、二年間かけて検証され、ついにロシア科学アカデミーが認めたのだ。その後、日本でも一年間の放射能無害化実証試験が成功した。
しかし、北部九州地区の除染作業が完全に完了するのは30年以上要すると判断され、九州の中心都市は福岡市から熊本市に移動した。九州は原発ゼロを掲げた新しい政府決定により日本の自然エネルギーの産地として復活する道を歩き始めていた。ただし、新鮮な水産物と農産物の生産拠点として注目されていた佐賀県や長崎県や福岡県は、放射能汚染地区指定され、ブランド価値を完全に失った。
その失った価値の代償として政府は、九州復興対策として二兆円の九州原発被害復興予算を計上した。立ち入り禁止となった巌山原発周辺地区50キロ周辺に十二ケ所の放射性廃棄物最終処分場が建設された。その特別地域に、全国の原発の今まで保管されていた使用済核燃料や福島原発事故で最終処分場受け入れ反対で宙に浮いていた放射性廃棄物をすべて受け入れるという条件が付帯されていた。しかし、その密約は地元住民には秘密にされていた。
原発で潤っていた地方自治体は近隣の自治体の反対決議を抑え込むために政府首脳部に隠然と力を持つ引退した首相経験者に依頼した。その高額な九州再生交付金利権をめぐって、新しい「被害補償原発村」が出来上がった。今回のテロ事件による原発事故の責任問題は、結局、電力会社も政府も責任を取ることもなくうやむやに処理をされた。
さて、この物語に登場した人物その後の人生を最後にお話して物語を終えようと思う。
山崎の元妻の尚子は証券会社を早期退職し、東京でNPO法人の子供難病センターの理事を務めている。また、尚子は今回の原発テロで両親を失った子供たちの教育を支援する新しいNPO 法人を北九州市に立ち上げるためにこの数年間、奔走していた。偶然、テレビで知った二十四歳の女性社長がその趣旨に共鳴し、クラウドファンド「DREAM LADY4」から五千万円を出資してもらい、テロ事件で被災した子供たちの育英奨学組織を設立した。
難病で苦しんでいた山崎の息子龍三は新薬で奇跡的な回復を遂げ、母のNPO 法人で自分と同じように難病で苦しむ子供たちを助ける仕事をしている。
若かった義明は今年55歳になる。康次郎の事業を継承し西部興産の社長に就任し、今でもレベッカと一緒に熊本で仲良く暮らしている。
志保は義明の母として、12年前に他界した亡き夫風間康次郎の設立した西部興産会長として社長となった義明を支えている。孫の風間ケンはひとりフィリピンのマニラに暮らしている。
レベッカがフィリピンを去った後、マキノ大統領は、翌年の一九八七年、憲法改正をおこなう。《外国の軍事基地、軍隊及び施設は国内に置かない》とする憲法である。その五年後の一九九二年、アメリカの軍隊が治外法権状態で占領していたアメリカの軍事基地を完全撤退させた。これをもって五百年続いた欧米の軍隊がアセアン諸国から完全に撤退することになる。『日本はなぜ基地と原発を止められないのか』の著者、矢部宏治氏はこう言う。「憲法とは小国が大国に立ち向かう最大の武器である」
マキノ新大統領は、二〇一四年、風間ケンをフィリピンに呼び寄せ、27歳の若さで内閣参事官に抜擢した。アメリカの軍隊を、対等な条件でフィリピン軍が管轄する基地に期間を定めて駐留させる交渉を風間ケンに担当させた。風間は、見事に国家の主権を守りながら、アメリカ軍隊を駐留させる難しい交渉をまとめ上げた。現在、南沙諸島のサンゴ礁に中国が造成した領有権問題の解決に当たるために働いている。実は、二〇二〇年東京オリンピック支持をフィリピン政府に決定させ、アセアン諸国首脳たちを説得したのが、この風間ケンであった。
山崎の母は避難生活の心労から事故から二年目に他界、94歳で人生の幕を閉じた。母の最後の二年間を看取る事ができ、山崎は長くコスタリカでの仕事のために親の面倒をみられなかったという後悔の念から解放された。山崎は母の葬儀を終えると、再びコスタリカに戻った。
山崎は飛行機のなかで、母の最期の言葉を思い出していた。
「お母さん、今、北九州の除染も進んでいるからいつか、また家にもどろうね・・・」
山崎が母を励ますためについた最後の嘘である。
「帰れるものなら、帰りたいね。でも、一度壊れた茶碗は二度ともとにはもどらないんよ。昔の人は、壊れた茶碗の破片を丁寧に拾い集め、金をまぶした漆で金継ぎして使用したんよ。大切なことはね、壊れた茶碗でも更に価値をもたらす、その金・・・知恵を見つけることなんだよ・・・そしてどうしてこんなことになったのか、どこで間違ったのか伝えていかなくてはね・・・」
≪金継ぎ≫という言葉から「金で接着する」と誤解する人が多いが、天然の接着剤である「漆」を金継ぎの主役として使用する。漆で接着すると継ぎ目に漆の跡が残ってしまうので、それを隠すために金粉を使う。金粉を施すには、蒔絵<まきえ>と同じ技法が使われるが、修理後の継ぎ目を「景色」と称し、破損前と異なる趣を楽しむのだ。金継ぎされた茶碗は「景色」が変わるので、茶碗の裏表が変わることもある。日本人は人為でない自然の傷がつくる景色を楽しむのだ。
壊れた茶碗の思い出を高価な修復費用をかけることで子孫が大事にし、金継ぎされた茶碗や漆器を次世代に受け継がせ、その物語を語りつがせる知恵ともいえる。それはもとに戻らない事実をはっきりと認識して、その災いの中から更に素晴らしい価値をつくろうとする。日本人は金継ぎされた傷は偶然が作り出した美と認め、造形の中に自然、神を見出すのかもしれない。日本人はこうして、壊れた陶磁器に侘<わ>びや寂<さ>びを感じる感性をはぐくんできた。壊れたから捨てるとういう西洋の考えの対極にある文化である。「禍福あざなえる縄の如し」という老子の考えにも通じる。
山崎は、日本の奇跡的な復興成功の理由には、この金継ぎの精神があったのかもしれないと考えている。
分裂そして対立と憎しみの連鎖が拡大する国際社会に、日本が貢献する道は、壊れた世界を金継ぎ精神で、素晴らしいひとつの世界に再び蘇らせる道しかないと山崎は思う。母の手を握りながら、故郷の父との思い出がいっぱい詰まった故郷や家で最期を迎えることができない母を哀れに思い、流れる涙を止めることができなかった。
山崎は、美しい多様性に満ちた森と共存する美しい国で自分の生涯を終えるつもりだ。日本の海外協力隊からコスタリカの小学校で地熱エネルギー素晴らしさを啓蒙する巡回授業をこの夏から始めることを依頼されたことも、山崎がコスタリカに戻る決意をした強い要因になったことも事実だ。子供たちは未来の懸け橋だ。山崎が借りている別荘があるアレナル火山の周辺は日本商社が融資する地熱発電計画が進行している。国は違っても日本企業と一緒になってコスタリカの子供たちの未来のために地熱エネルギーを普及させるお手伝いをするつもりだ。
あの原発テロによる放射能被害を経験した日本だが、山崎は熱しやすく冷めやすい日本人が、今後とも日本の地熱資源活用を真剣に継続してくれるとは期待できないと思っている。石油価格がバーレル当たり30ドルを切れば再び、経済性優先路線が復活して電力会社や官僚たちが地熱開発を妨害するするだろう。その時、歴史を学んだ若い世代が大きく声をあげて、彼らに次のように告げることを山崎は信じたいと思う。
「この九州の大地を安全でクリーンな大地として、我々は子供たちに残したい。地熱などの自然エネルギーで全てのエネルギーでまかなえる大地にしてください」と。