九州縄文人のピラミッドのあとがき
あとがき
AIのチャットGPTを使い、挿絵を描いてみました。将来は人間を超える人工知能が出来るでしょう。核戦争で人類は絶滅の危機に遭遇し、数千年間地上に住めなくなる。一部の人間は火星移住し、一部は海底に移住するグループに分かれる。肉体もほとんどの部分が機械に置き換わり、AIロボットがわずかに残った人類の脳の細胞から生物ロボットという新しい人類を誕生させ、再び地上に戻る旅へ出る未来の物語です。火星移住を目指している天才経営者イーロンマスク氏は「この世が仮想現実世界でない確率は10の40乗分の1である」と主張しています。
1万6500年前の日本列島に、1万4000年間に及ぶ平和な戦いの無い共同生活を営む縄文文明を築いた縄文人は、あの世の偉大な存在を自然の中に見出し、敬い、畏敬し、この世と深いつながりを常に意識して暮らしました。死後に自分があの世の世界で再生すると信じました。人類が高位の存在を「神」として崇拝する宗教を誕生させたのはこの意識によるものです。
ギリシャの偉大な哲学者プラトンはこの世はあの世の影であると「洞窟の比喩」で語っています。中国の荘子もこの世は「胡蝶の夢」であると言っています。インドの仏教でもこの世は「空」である仮想空間であると悟ればすべての苦しみから解放されると言っています。
哲学の父とされるデカルトは 方法的懐疑によってすべてを疑い、疑っている自己の存在を真理と認め、「我思う、故に我あり」の命題によって、この世のすべての事象は、脳が創り上げた仮想現実世界であると主張しました。
1986年、「水槽の中の脳」という概念をヒラリー・パトナムが提唱しました。生きている脳を、身体から分離して、「あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないか」という仮説です。
2003年、哲学者のニック・ボストロムが「あなたはコンピューターの世界で生きているのではないのか?」という論考を発表し、その中で〈シミュレーション仮説〉を提唱しています。
では、現代の科学者はどうでしょう。英国オックスフォード大学の車椅子の天才物理学者ホーキンス博士は「我々が仮想現実世界に住んでいる可能性は50%である」と語っています。波動情報と物質が等しいものであるとする相対性理論のアインシュタイン博士も「我々は仮想現実世界に住んでいる」と語っています。
2024年、AI技術の進化で現実世界が仮想世界に移行する時代が始まりました。最近、映画「マトリックス」で描かれた「人類が自ら作ったAIにより支配されコンピューターの中に住んでいるという」世界観が再び注目されています。古代から人類は巨大なコンピューターの中の仮想現実世界で生きていると認識しているのです。
2009年にCG技術と3D映像を融合して圧倒的な映像体験を提供した1作目『アバター』が公開されました。ジェームス・キャメロン監督の作品です。歴代最高興行収入約4,308億円を記録し、今でも世界映画ランキングの第1位でこの記録は破られていません。
この映画は仮想世界を生きる男の物語です。今でも歴代売り上げが第一位ということは驚愕すべきことです。人類の潜在意識が自分の存在がアバターである真実を知っているからかもしれません。
2023年には映像体験がさらに進化し、異次元の没入体験を提供するシリーズ2作目『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』が公開されました。興行収入約23億ドル、日本円にして約3,417億円、第3位を記録しました。
映画「アバター」で描かれている仮想現実世界は、3Dの画面で体験すると、情報世界のリアリティが物質世界のリアリティにかなり近いと実感できます。五感のうち、視覚、聴覚を刺激するのみですが、かなりのリアリティを体感できるのです。映画の内容は、22世紀、地球から遠く離れた惑星パンドラへとやってきた元海兵隊員ジェイクは、自らの分身となる“アバター”を操り、先住民ナヴィと交流しますが、やがて鉱物資源を巡って勃発する人類とナヴィとの戦争に巻き込まれていきます。惑星に眠る稀少鉱石を開発するアメリカ企業に雇われた海兵隊で両脚を損傷した若者が主人公の物語です。稀少金属鉱床の上に暮らすノビ族という3メートルの頑強な身体を持つ「人類」が生息しています。主人公は、DNAでノビ族と人間のDNAを合成したアバター肉体の中に、心、つまり、若者の情報を移動させるのです。彼のアバターを使い、ノビ族が鉱床の上から立ち退かせる命令を受けます。この場合、同じ3次元での魂・情報が転移するという設定です。
私たちも高次元の存在が暇つぶしの娯楽目的や生命進化研究実験や自分たちの未来の最適な進路をシュミレーションする為にコンピューターの中で創造されたアバターであるかもしれません。
私たちの文明進化の方向性について考えてみます。
この世で僕たちが無意識に目指している技術開発は、高次元の世界つまり、あの世の世界の普遍的な事を模倣することであるかもしれません。
高次元世界、波動世界、あの世の世界とは、
それは、ひとつの世界。混沌の世界、無意識の世界。物質化していない世界。すべてがつながり、争いのない世界。すべてがひとつに包まれて安らかな世界。しかし、ひとつひとつの個性が、魂の運動エネルギーとして内蔵されている世界。この相対する二つの世界が無限にループしているのです。それはロシアのお土産マトリョシカのようです。無限に何重ものサイズの異なる人形が内蔵された人形のようです。
イーロンマスク氏は巨額の資金を投入し、この人形から抜け出す研究に着手しています。コンピューターの住人がコンピューターの外に抜け出し、アバターを操る存在の実体と遭遇することは理論的には不可能です。しかし、コンピューターの中に我々が閉じ込められている証拠を見つけることは可能です。一つには宇宙のすべての事象が数式で表現できるという事実がこの世界がある数式で創られている証です。貝殻の文様や植物の葉の螺旋構造、惑星の軌道などがある方程式で表現できます。すべてをゼロと一の数字で置き換えることが出来ます。AI技術や量子コンピューターの開発が飛躍的に進みます。そうなると宇宙世界を人類は創れるのです。
AIコンピューターとは脳を人工的に創り上げることです。この世は脳がすべて作り出した壮大なイルージョーンです。
銀行のカード、クレジットカードのシステムは、まさに、あの世とこの世を模倣したシステムです。あの世の世界が巨大なサーバーシステムです。その場所はサイバーテロや犯罪から被害を避けるために、秘密にされている。一般の会員にはどこに有るのか、その存在すら意識の外に置かれている。
僕たちは指定の番号を登録して、一枚のカードを所有します。そのカードが行う経済活動はすべてサーバーに記録されます。その番号の口座に働いて稼いだお金を預けますが、残高が少なくなると破綻しカードが停止されます。つまり死です。しかし、サーバーにはその番号つまり、肉体としての個人活動記録が記憶され永遠に保管されます。
次の世に生まれ変わり、別のカード会社と契約すると、新しいカード所有者として登録されます。会社は様々なサーバーの個人情報を保管する巨大なサーバーにアクセスします。その個人が別のカード会社でおこなった経済活動もすべて入手出来るのです。本人は新しく生まれたつもりでも、その「魂」の記録は、継続して巨大なサーバーに記録は保管されているのです。これは輪廻転生して、個人は記憶がなくても、その魂の経験した記憶や記録が巨大サーバーには保管されている仕組みなのです。
パソコンを廃棄する時にハードディスクのなかに様々な記憶が残されています。消去したつもりでも、有るソフトを使用すると、すべての記憶が蘇ります。まさに、これは、人間が前世の記憶を明確に取り戻す「前世の記憶を持つ子供たち」の事例に類似しています。
僕たちの脳の奥深く、潜在的な記憶の中には、生命進化の歴史が記憶されているとよく言われます。しかし、魚だった頃の記憶は思い出せません。パソコンのハードディスクに死蔵されている記憶の集積と似ています。
コンピューターゲームの進化の歴史は、あの世からこの世に出現する類似しています。まず、パソコン上には暗闇の何もない画面があります、電源スイッチを入れると、暗闇の宇宙画面が出現します。まさに聖書の創世記のようです。スイッチが入ると、黒い画面の中に光のが誕生します。光の点は数が増えていきます。光の点は画面の壁に当たり、進行方向を変える。そのうちに点と点がぶつかり合う。ピンポンゲームが完成しました。次第にインベーダーゲームのように、個性を持つ、インベーダーをめがけて光の弾を放ち、インベーダー宇宙からの侵略者を攻撃するインベーダーゲームが誕生しました。今では自分のアバターを創り、多くの人が参加する仮想現実世界で戦争や冒険や財産形成や恋愛さえも「実体験」できます。
インターネットと繋がるスマートフォン端末の出現で、すべての世界中の人が繋がり、世界中の情報や人類の知識が誰でも入手できます。インターネットの世界であの世と同じように、すべての人が直接繋がっている世界が誕生したのです。インターネットテレビ画面から、世界中の情報が視界に飛び込んできます。
医学の分野では、脳以外の臓器が人工的な機械に置き換えられています。将来人類は「自我」を創造している脳も人工的な記憶装置に置き換えられる方向に進んでいます。ゲーム世界では、バーチャルな世界でリアリティを体感する技術開発が進んでいます。
僕らは、錯覚の世界に生きているのです。有るという錯覚。五感はすべて錯覚をリアリティと脳が創造します。遠く宇宙の星を観察する時、その星の存在を僕らは、有ると認識しますが、その星はもしかしたら、数億光年前に消滅して存在していない星かもしれないのです。無いものを有ると認識する。リアリティと感じているものすべてが錯覚なのです。
この世は無常です。儚いが貴い一瞬。
それを受け入れ、そのはかなさを嘆くのではなく、仮想世界に遊び、楽しむ為に僕らは生きているのです。
by masashirou | 2024-10-24 13:49 | Comments(0)

