2500年前に、お釈迦様が語った「時空観」とは、時間とは空である。有るとも無いとも言えない。時間の流れが相対的に、真逆に流れているので、有るとも無いとも言えないのです。
物質宇宙(陽の宇宙)とでは全てが時間と共に、乱雑となり、エントロピー(秩序ある形が乱雑に無秩序になる度合いを示す概念)は増大していき、物質宇宙(陽の宇宙)は膨張し続けていきます。例えば、整然と整理された部屋が散らかされていくように、また、綺麗に整えられた庭園が雑草で覆われるように、やがてバラバラに崩壊していきます。
しかし、情報宇宙(陰の宇宙)はでは時間と共に未来から過去に向けて、エントロピー(秩序が無秩序に変化し、乱雑になる割合を表す概念)が縮小し続けます。たとえば、誕生したばかりの赤ん坊は無限の可能性が有る状態、つまりエントロピーが最大の状態で生まれます。人生の時間の経過と共に、この人間はこんな人ですと集約されたひとつの情報にまとまる。つまり、情報のエントロピーが最小になるのです。
未来の情報宇宙(陰の宇宙)の初めは脳が作り出すひとつの心そのものです。この状態が、最少のエントロピーの状態である。最小の情報の状態、この状態をお釈迦様は「空」と、老子は「道」と名付けました。ここでは、物質と情報(心・波動)が混沌の状態で揺らめいています。とても平和で、平穏な世界です。これがビッグバンを引き起こす「原因」となるのです。
第二章
なぜビッグバンが起こったのか?
このひとつの脳が作る自己完結の世界の情報宇宙(陰の宇宙)では、全てが神である脳が欲するまま全てが思念する通りに実現する。
この場では各神々がそれぞれの宇宙の中にいて相互に無関係の世界の中にいます。
いわゆる多元的宇宙の世界です。この神の状態で膨大な情報を持つ神、高貴な情報を持つ精神レベルの高い神から情報の少ない精神レベルの低い無数の宇宙が同時に存在します。それらが、相互に無関係で存在しているのです。
この世でも厳密には同じ事なのです。同じ宇宙を見ていると人間は錯覚しています。実際は、各自の見ている宇宙は全て異なっている仮想世界なのです。1人1人が自分の宇宙空間を脳がイメージしているのです。動物の中には動いている物だけしか見えない動物が存在します。他者が動いていない時はその動物にとって他者は存在しないのです。宇宙はそれぞれ全てが異なっているのです。自分という存在、他者という存在も全て、五感(触覚、味覚、嗅覚、視覚、聴覚)というセンサーで脳内に創造された幻影(クオリア・現実感覚質)なのです。
バーチャルゲームでは、すでに、物があることを強く脳内にイメージさせる触覚を感じさせる装置が開発されています。また、映像に合わせて、椅子に揺られながら臭いや風を吹き出る3D映画アトラクション装置も開発されています。進化した五感を完全に満足させた3D映画を見た人間はその映像を「体験」したと認識する時代が近い将来実現するでしょう。その時に物質宇宙の世界での現実と情報世界での現実のクオリアの差はほとんど無くなるでしょう。
話を、情報宇宙の最初の段階のお話に戻りましょう。
全てが思い通りに自我だけの他者がいない世界にいる神は、いつしか、孤独を感じはじめたのです。この気持ちは人間の気持ちに置き換えると、容易にお解りになると思います。無人島に流れ着いた人の気持ちを思い浮かべてください。いつも、1人で他の宇宙との関わりのない平穏の世界に飽きた「心、神々」は、刺激のある、また様々な「心・神」と交流し、様々な精神状態を体験し、学べる、つまり、他の宇宙との関係性(縁)を希望したのです。この切ない「孤独から脱出したいというせつない希望」が「原因」となって壮大な実験が行われたのです。
それが、137億万年前に、起きたビッグバンなのです。神々が物質宇宙(陽の宇宙)を作るために、協力して、宇宙ビッグバンをおこしたのです。その瞬間、物質と反物質が発生しました。しかし、そのままですと、お互いに作用し合い、直ちに、「空」の状態に消滅します。
ちなみに、昨年ノーベル物理学賞を受賞した、日本人、小川誠博士と益川敏英博士の理論は、現在の宇宙で物質が反物質よりもわずかに多いことを説明する上で非常に重要基礎理論です。
その時、神々は反物質を少しだけ別の次元の5次元世界に隔離し、ここ世を非対称にしたのです。こうして、神々が自分の宇宙から飛び出して、物質と反物質(情報・心)とがインターフェイス、交流が出来る4次元の物質宇宙(陽の宇宙)を神々の「プレイランド・遊び場、学びの場」が誕生したのです。
第三章
神が創った人間とは何者か?
聖書の中に、「神々が神々に似せて人間を創った」とい記載が、旧約聖書にあります。神々という複数の名前で記載されているのはそのせいかもしれません。様々な神が物質宇宙の惑星に、様々な生き物のアバターをつくりました。
木々になったり、岩になったり、風や雲や水や昆虫や犬や牛や猫などのアバターを創りました。コンピューターゲームの初期段階の主人公がピンポン球だった頃を思い浮かべてください。進化したゲームの主人公が、人間の姿をして、自分だけの名前を持ち、コンピューター上のサイバー空間で戦い、助け合いながらゴールを目指す最新のゲームを思い浮かべてください。まさに、それに類似しています。人間の進化の方向性は神々の世界を模倣しているのです。
わかりやすく例で言えば、ソシアル・ネット・ワーク「ミッキシー」サイトが4次元の宇宙といえます。初めは自分のパソコンでインターネットに接続せず1人でブログを書いて満足していた若者が、自分の独りよがりの世界に退屈し、飽きたのです。そこで、「ミキシー」サイトに「名前をもらい」登録して、他者と交流を始めた事に類似しています。
「ミキシィ」を始めた若者が、一日のほとんどの時間をパソコンの前で過ごす状態に陥ります。多くの子供達が、コンピューターゲームの中で過ごす時間も拡大しています。現代人は物質宇宙よりも情報宇宙で過ごす時間が増大していると言えるのです。神々は137億年前からほとんど、物質宇宙でほとんどの時間を過ごしています。先ほど述べたように、人類も潜在意識の命ずるまま神々の模倣を志向しているのです。
第四章
人間は、死んだら本当の人間になる!
小林秀雄が川端康成に語った言葉に、「人間は生きている限り、人間になれない。死んで初めて人間になる」という言葉があります。まさに、死ぬとこの4次元世界の物質宇宙から抜け出して、未来の次元の高い自分に戻るのです。ひとつの宇宙の支配者、「神」に戻ります。本当の人間とは「神」です。死んで「神さま」や「仏さま」になると日本人が考えるのはその意味で正しいのです。
情報宇宙(陰の宇宙)では、心・脳がイメージを描くだけで情報宇宙が思念の数だけ生成します。その情報宇宙の現実は、物質宇宙(陽の宇宙)と、タイムキーが違う為に、リアリティとして感じられないのです。情報宇宙ではリアリティの有る現実として存在します。
だから、お釈迦様の言葉に「一念三千」という言葉があります。現在の一念(思い)の中に、未来と過去の全てが含有されている。人間の心は十界(仏、菩薩、天、声聞、縁覚、人、修羅、餓鬼、地獄、畜生)の状態を瞬時に変化する。それぞれの十界は十界を包有している。合計千界の変化をしている。それが現在、過去、未来の世界にそれぞれあるので、心には三千世界があるという教え。つまり、現在の強い思いが未来、過去、さえ変えてしまうという。
強く願い、思念する事で、物質宇宙にも影響や変化を与えることが出来るのです。日本人が「言霊」や「怨霊」を信じるのはこれを経験した民族の物語や先祖の言い伝えによるものです。
面白いことに、物質宇宙の世界でも素粒子レベルになると、情報宇宙と物質宇宙がアトランダムに変化します。
物質宇宙の世界の全てのリアリティも、脳が生み出す脳内の仮想イメージでしかないのです。
宇宙や物質も、全てのものが光の反射を脳が感じて、それも、限られた周波数の範囲内の波動を駆使して、脳内世界で描かれた仮想イメージでしかないのです。
宇宙を認識する「我」「自我」という意識こそが根源的な存在です。
第五章
人間が最高の幸福を感じる時とは?
我々がこの世の物質宇宙の世界で幸福と感じる瞬間があります。それは他者が自分と繋がっていると思えた時です。我々がこの物質宇宙の世界に遊びに来た大きな理由は、他者との出会い、お互いが愛し合い、相互に助け合いそれを求めて、孤独を癒す為に、遙々遠い未来からやって来ているのです。いわば、人生は「壮大で偉大な暇つぶし」なのです。
3D映画「アバター」という映画が大ヒットしました。
仮想の世界が3Dの画面で体験すると、情報宇宙のリアリティが物質宇宙のリアリティにかなり近いと体感できます。五感のうち、視覚、聴覚を刺激するのみですが、かなりのリアリティを体感できるのです。映画の内容は、パンドラという惑星に眠る稀少鉱石を開発するアメリカ企業に雇われた海兵隊で両脚を損傷した若者が主人公の物語です。稀少金属鉱床の上に暮らすノビ族という3メートルの頑強な身体を持つ「人類」が生息しています。主人公は、DNAでノビ族と人間のDNAを合成したアバター肉体の中に、心、つまり、若者の情報を移動させるのです。彼のアバターを使い、ノビ族が鉱床の上から立ち退かせる命令を受けます。この場合、同じ次元での魂・情報の移動という設定です。
ですから肉体は二つこの世に存在します。そうした違いはありますが、我々の肉体も情報世界に存在する「心・情報」のアバターなのです。中国やアメリカでも映画「アバター」の上映禁止の動きが出てきています。中国はウイグル地区やチベット地区の民族弾圧をイメージさせるという理由から。アメリカは反キリスト的であるという理由から。彼らの反対の理由は、アメリカの海兵隊に似た軍隊を悪者として描いているのが許せないという理由です。また、映画の中で出てくる神の命の木を敬う自然崇拝思想はキリスト信仰を否定する危険な思想なのです。かつて、欧州におけるキリスト教の布教する時、
森の神々が宿ると信じていたドイツのゲルマン民族にキリスト教徒は神聖な森の木々を伐採して見せました。もし、森の神々がキリスト教のイエスより強いのならキリスト教徒に罰を与えるはずであるとゲルマン民族に語りました。次々と神聖な森の木々を切り倒しました。神聖な森を消滅させたキリスト教徒は神から何も罰されませんでした。ゲルマン民族は森の信仰を捨てました。そんな記憶を呼び起こすとアメリカのキリスト教徒は反対したのです。誠に愚かしいアメリカのキリスト原理主義者達です。ブッシュ大統領や彼らが世界第二位の石油生産を手にするためにイラク戦争や麻薬生産販売を手にするためにアフガン戦争、その戦争に大義を与える自作自演した9/11を起こした陰謀が映画「アバター」から読み取れることを危惧したのです。
まさに、物質宇宙に住む我々はアバターの主人公のように別世界、次元の異なる情報世界にいる「意識・心」が、物質宇宙の最もリアリティを感じられるDNAを駆使して製造した肉体の中に入り込み、この世に生きて無限の孤独を癒すために遊び、学んでいるのです。
神のいる情報宇宙は1人で1人の宇宙ですから、全てが自分の希望が全てかなう天国のような平穏な世界です。
第六章
ビックバンは、神々が「永遠の孤独と退屈」を癒す為に起こした!
私は、講演会では次のような例え話しをします。
「地獄は様々な針や血の池などバラエティのある地獄絵が古来、描かれていますね。私たちは、天国の住人向けの「パッケージ地獄ツアー」に参加しているのです。皆さん、この世は「地獄」とよく言われるでしょう。この地球は、弱肉強食の原理が支配する地獄ゲームサイト(物理宇宙)なのです。地獄の中で、肉体(アバター)を駆使して愛しあったり、殺しあったりしながら最終ゴールをめざすのです。ゴールはもちろん、参加者全員で、地球を全ての生き物が助け合う、戦いのない平和な「天国」に創り上げて終わるのです。
我々が人間として誕生した目的は、自分が幸福になるため、そして、本当の幸福とは自分と同じように、他人が幸福と感じられる平和な理想の楽園を地球上に創造する事と気づく事なのです。そのために生きているのです。お金や名誉や地位を求めるために誕生したのでは無いのです。
ビックバンは、神々が「永遠の孤独と退屈」を癒す為に起こしたのです。
映画「マトリックス」の描く世界観のように、我々は宇宙コンピューターのサイバー空間に住む住人なのです。ですから、例え、戦争や病気やけがで死んでも「孤独」よりも楽しいから、また様々な精神状況を体験し、学ぶためにたくさんの神々がこの世で人間として誕生しているのです。
そう考えると、せっかく、遙か未来からこの世界に来たのであるから、地球を天国する素晴らしいゲームに参加しましょう。そして、ゲームですから、まず、リラックスして、生きることを楽しみましょう。
このような観点を持つと、全ての景色や動物や植物や、人間をみると、全ての物が愛おしく思えてきます。何で、君はそんなアバターを選んだの?とか、何で、ブルドッグのアバターで参加しているの?とか思えてくるのです。よくミミズを選んだねぇとかすべてのアバターの裏側にいる神さまたちに声をかけたくなるのです。「ミキシィ」の中で、自分の写真ヤイラストを「豚」にしたり、「花」にしたりしていますね。あれと類似しています。昔の日本人が石や木々や風や草などにも「仏や神」が宿ると信じているのは、正しかったのです。
第七章
死とはなにか?
「死」とはアバターを抜け出して、元の場所、神さまの宇宙に戻ることなのです。
やっと生きること死ぬ意味が分かりました。我々は宇宙の中にいます。その宇宙は各自が脳で作り出した世界です。1人1人が自分だけの宇宙の中にいるのです。自分が幸福になるためには、自分が幸福と思わない限り、なれないのです。自分が幸福の状態、つまり自分が自分であることに満足であるためには、老子は2500年前に次の言葉を残しています。「知足」。足るを知る。この言葉は偉大な知恵からのメッセージであると思います。
映画「ラブリーボーン」という映画が上映されている。ラブリーボーン
この映画は、アバターである肉体から魂が恨みややり残した事の為に、あの世とこの世の間にさまよう少女の物語である。天国への中間点にある世界が見事に映像化されていることで評判の映画である。浮遊霊になってしまった少女は自分を殺害した近隣の男を父や妹に告げるためにあの世に向かう扉を開けることが出来ない。それと初恋のボーイフレンドの少年とのファーストキスをしたい願いから彷徨う浮遊霊となり苦しんでいる。最近、あの世の事ばかり考えていたので、映画を見ていると息苦しくなって、席を立とうと思ったくらいくらい悲しい映画である。昔のハリウッド映画なら勧善懲悪で、犯人は厳しい罰で死んでしまうストーリー、たとえば「ニューヨークのゴースト」のように、ところが、この映画は、最近の霊のシステム解釈に従い、脚本が作られているので、浮遊霊の少女の活躍は犯人に風を吹きかけるくらいの仕返ししかできない。肉体から離れた幽体の限界を悲しいまでに描き出している。その結果、エンディングは、なかなか許し難い結末になっている。とにかくあの世は美しく平和な恨みのない世界であると描かれている。死んでしまうとバーチャルの世界のこの世の事は全て、許しの対象になる。その通りと最近あの世の仕組みを研究していると左脳では理解しているが、右脳では、犯人が警察にも捕まらないので後味が良くない。映画には霊を見ることが出来少女が登場する。見えないものを見ることが出来る人間もいると思いますが、映画館の席は多くの浮遊霊がたくさん、ただで見に来ているかのように、身体が異様な痛みと寒気を覚えたのです。映画の後で、気持ちが悪くなり、近くの九州伊勢神宮に立ち寄り、陰気な気をお払いにお参りをしました。考えてみると、生きている限り、死なないのです。
あまり、死後のなど真剣に考えないで、生きてい人生の一日一日を楽しんで生きることに専念した方がいいと改めて、気がつきました。全てがわかるという事は不可能です。鏡の部屋の疑問が解決したら新しい疑問が沸いてきます。あの世とこの世のシステムは次第にわかってきましたが、理由は解明されてもどうして陰の宇宙と陽の宇宙があるのか?いう根源的な存在論は永遠の謎であり続けるのです。
それはお釈迦様や老子様でもわからなかった謎だったのです・・・。
最後に、あの世について解明が進んでいるお話をしましょう。
『あの世までの距離』を解明した女性科学者
2008年度の世界に最も影響を与える百人に選ばれた二人のアメリカの女性科学者がぃます。一人はハーバード大学の物理学者のリサランドール博士で、彼女はあの世つまり、五次元世界の存在を数式表す方程式を発表しました。彼女の方程式を証明する為にスイスの山奥で世界中の科学者が集まり巨大な素粒子加速装置を使い実証実験が行われています。今年中に実験結果がでます。
『奇蹟の脳』という本
もう一人は歌う脳機能学者として有名なシル・ボルト・テイラー博士です。彼女は今年、「奇蹟の脳」という世界的ベストセラーの本を出しました。彼女は八年間の間あの世の世界の映し出す右脳が描く魂の目から地上世界を過ごす体験しました。その八年間の不思議な闘病体験を本に書きました。彼女は脳卒中で左脳の機能が停止しました。彼女もハーバード大学の脳機能学者でしたが、自ら右脳が描き出すあの世の世界から見たこの世のエゴと孤独と不安と争いに満ちた左脳が描き出す世界を克明に分析しながら右脳と左脳の役割をベットの上でただ一人、研究を続けます。左脳の回復する治療を受けながら、とうとう八年後、見事に完治して脳機能学者として復帰します。右脳の世界では宇宙意識とひとつになり全ての存在と繋がり不安がなく平和な自分がいます。正確には自分という自我がなくひとつの世界で時間もなくただ今の景色があるだけ不思議な世界です。しかし大変退屈な世界です。改めて彼女は肉体を持ち他者と分離して自我をもちながら生きる意識を与える左脳に感動します。自我があるからこそ他者という意識が誕生して繋がりあう喜びが味あえることに気がつきます。死んだら平和なあの世の右脳の世界に戻れる。だからこそ地上のこの世で肉体を持ち自我という意識を得た喜びを彼女は深く理解します。
第八章
一日、一日を生きるしかない!
人間の顔に素敵な笑顔が現れるシーンを注意深く見ていましたら笑顔は必ず他者との繋がりのタイミングで現れています。人間は右脳と左脳が相互扶助しながら生きている存在である。右脳は全てがひとつの存在と意識させ、左脳は全てがバラバラの存在と意識させる。人間はその矛盾が交錯する意識を楽しみながら生きている存在。この世に生まれる時、バラバラの存在であるという意識をクリアしてひとつの存在であると理解する困難な楽しい旅にでることです。笑顔は人達の魂が繋がる瞬間に存在するのです。人はこの世でつながりを求めてあの世からやって来ているのです。
人間、お釈迦様は、人を人と人の間、つまり「人間」と呼びました。幸福は人と人の間にしか存在しないのです。
日々感謝。一日一日、「足を知る」生き方をするだけで「悟り」はもういいと考えて、生きたいと思います。