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自由な遊び方を自分で見つけよう1

この世はバーチャルゲームです。

ですからこれが正しい遊び方という絶対的なルールはありません。

参加者全員が最終的には神さまの領域にはいるわけです。

努力しても努力しなくても結果は同じなんです。

キリストはマタイ伝福音書第5章に次の言葉があります。


「天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせます。また悪人にも正しい人にも雨を降らせます」

魂が学び遊ぶ為にこの世を創造しているわけですから、自由にあなたが欲するゲームの楽しみ方をしなさいと語っているのです。

孔子の論語は社会に階級を創り、区別、比較することを善とする人間を超える者を認めない人間至上主義の左脳の論理。

老子は自然主義的な人間は自然の一部であるとする自然と融合する右脳の論理。

旧約聖書の論理は孔子の論理に似ています。

新訳聖書のキリストの論理は老子の論理に似ています。
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by masashirou | 2010-05-16 12:55  

情報社会とは陰陽の世界である

iPodの音楽や映像、インターネットでやり取りされる情報はどういう風に蓄積されるのでしょうか?
 
これは、すべてがデジタル化された情報として処理されます。0と1、0とは『無』、1とは『有』、この二つは、『陰と陽』とも言える二つの記号を複雑に組み合わせることで、情報はICチップと呼ばれる鉱物の微細な結晶の中に膨大な情報が蓄積されています。

つまり、岩石の中に情報が蓄えられている。その『0と1』の信号の組み合わせ情報が、電気信号に変換されて、世界中の有線や無線のネットワークの中を瞬時に移動しています。

私たちのパソコンやiPodに送られて、再び0と1の複雑な組み合わせ情報として変換され、『ハードディスク』と呼ばれる記憶する鉱物の結晶体の中に、蓄積しているのです
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by masashirou | 2010-05-16 12:05  

認識できる世界は少ししかない!

 われわれの認識できる世界は、点の世界のゼロ次元、線の世界の一次元、そして、面の二次元、立体の世界の三次元、それに時間の世界の四次元、次元とは、われわれの存在する位置を特定する座標軸みたいなものです。われわれは、四次元の座標軸を使って、個別の存在を特定の時間の舞台の上に指定することが可能です。次元が高度になればなるほど、活躍できる舞台は大きくなります。三次元の世界の住人が時間という次元を手にすると、一時点のローマが舞台の物語から、過去から未来へ繋がる壮大な物語の主人公になれるのです。高度の次元の世界での普通の行いが、低次元の世界から見れば、不思議な超マジックや奇跡のように見えます。

こうした別の次元の世界が存在することが証明できれば、死の世界の解明にも、また知識の宇宙バンクの解明にも貢献することでしょう。

 最新の素粒子物理学理論の『ひも理論』では、物質の根源をなす基本的な分離不可能な物体は、『ひも』で、原子や電子、中性子、それらを構成するクオークもすべて、『ひもの振動』で生じると主張しています。一つのギターの弦から、指で押さえる場所により異なる音が出るように、異なる振動で、あらゆる粒子が生じます。弦である『ひも』は、中国の二胡や日本の三味線やスペインのギターのように、複数の弦つまり複数の『ひも』が存在する楽器と考えられています。素粒子が『ひもの震動』で生じるというのは、まさに、山つまり陽と、谷つまり陰の波動がこの世のあらゆるものを生じさせているのです。陰陽の太極図の原理が宇宙の根本原理であることを意味しています。

 こう考えて見るとわかりやすいでしょう。『死ぬ』ということは、ギターの音が消えることと同じです。弦の震動が停止することです。その時、音は消滅します。しかし、指ではじくと、再び同じ固有の音が生じます。魂とは、その生命の固有の波動の記憶なのです。仏教でいう『空』という概念は、停止した弦の状態のことです。『無』から『有』がこうやって生じるのです。『死』が『無の世界』への旅立ちではないのです。死ぬことは、この世界から高次元の別の世界への旅立ちです。
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by masashirou | 2010-05-16 12:02  

ヘッパーンが残した美しい言葉

自分と同じように他者、自分以外の全ての存在を愛する、究極の愛だと思います。

オードリー・ヘッパーンという偉大な女優が素晴らしい言葉を残しています。

『人間が何故、二つの目と、二つの手を持っているのか?それは、ひとつの目は、自分を見つめるため、もう一つの目は他者を見つめるため、ひとつの手は自分を助けるために、もう一つの手は困った他者を助けるためにある』と・・・・。
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by masashirou | 2010-05-16 11:58  

本当のものは目に見えないんだよ

私は静かになった部屋で、窓から学生たちがボートを漕いでいる姿が見ている。美しい緑の木々が太陽の日差しを受けて輝いている。川辺に植えられた大きな柳の木の枝が、風に揺れている。
 風は、眼には見えないが、木々の枝や若葉を揺らす。深い谷やそびえる山や蒼い海原を吹き抜ける風、どこにでも風は吹いている。どこにでもあるのに、眼には見えない。ラジオから聞こえてくるエルトン・ジョンのメロディを乗せた電波も、呼吸を支える空気でさえ、人間は見たことがない。見えないから存在しない、と断言する科学を信奉する賢い人々。人間が知っていることは、宇宙のわずかな片隅のこと。科学は宇宙の存在理由については、沈黙して何も語らない。大切なことのほとんどが、いまだに深い闇の中に潜んでいる。この世は目に見えないもので満ち溢れている。
 私たちは目に見えない多くのものに包まれて暮らしているのだ。本当に大切なものは見えないのだ。愛や友情、優しさ、思いやり……大切なものは決して見えないのだ。見えない力、見えない世界、闇の世界の息遣いを知りたい。
 私は大きく息を吸い込んだ。
 『柳が揺れているのか? 風が揺れているのか? いや、そうじゃない。心が揺れているのだ』
 そう考えた瞬間、大きく揺れていた柳の枝の揺れが止まった。
 人間の目に見えない心の有様が、大きくすべてのことに影響するという目に見えない陰が目に見える陽に影響を与えるという「老子哲学」は科学的にはまだ解明されていない。しかし、私は、この「老子の智慧」が、やがて二十一世紀の理想社会に大きく貢献するに違いないと思っている。
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by masashirou | 2010-05-16 11:54  

精神宇宙では未来から過去へ時間が流れる理由

私たちが絶対と考える時間の方向、過去から未来へと流れると考えている時間ベクトルも相対的に流れるのです。
波動宇宙、精神宇宙では未来から過去へ時間が流れる理由

波動宇宙、情報宇宙、精神宇宙の世界では、時間のベクトルが物質宇宙、肉体宇宙の世界を流れる時間ベクトル、つまり、過去から未来への時間ベクトルと正反対の向きに流れています。

時間は川のようなものです。

肉体宇宙で先に歩んでいる人たちは川の上流を目指して、進んでいく人たちです。未来の子供たちは川の下流にいる人たちです。現在の我々から見ると、前に見える人たちが過去の人で、後ろにいる人たちが未来の人たちです。

我々が過去が見えるのに、未来が見えないと思うのは、精神世界では前である「過去」を向いて時間という川を上っているからです。未来は、後ろを見ようと振り返る意志を待たないと見えないのです。

前が過去で、未来が後ろ。つまり精神世界では前が過去で、未来は後ろにいると認識しています。

大東亜戦争の前という表現をします。「前」が過去なのです。

大東亜戦争後という表現をします。「後」が未来なのです。

人気テレビ番組で「BEFORE AFTER]という改築の番組が有りますね。古い家が前の家で、改築した家が後の家です。「過去である原因」が「前」にあり、「未来である結果」が「後」に有るという感覚を自然に我々は持ってそのように表現します。


つまり、無意識レベルで、時間のベクトルの向きを時間が未来から現在から過去へと流れていると感じているからそのように表現しているのです。

2500年前の老子やお釈迦様が語った言葉や英知を現在に生きる我々が飛躍的に科学がすすんだと自負しながら理解しようと試みて、いまだに到達出来ないでいるのは、精神宇宙では老子やお釈迦様が精神的上流にいる人たちだからです。

よく、2500年も前に科学も今ほど無い時代に、量子力学も宇宙理論も解明されていなかった時代に、老子やお釈迦さまのような発想ができたなあと感心する人がいます。

そうじゃないんです。

精神世界では、我々は、2500年前の精神を目指している時間ベクトルの流れの中にいるのですから、「過去」の人の方が精神レベル的に「未来」的に進んでいるのです。

前向きに生きるとは、精神的な世界では「過去に学ぶ」という事なのです。

後ろ向きに生きるとは、精神的に劣った未来の知識のカオス的泥沼にはまり混乱すると言うことなのです。


未来には、過去の英知を右脳で理解する智慧が衰えて真理が理解出来なくなった我々が呆然と佇んでいます。

だからこそ、膨大な科学的知識を必要となり、未来の英知である「過去の英知」を理解しようと試みているのです。


精神世界では、我々は退化しているのです。

ダーウインは物質宇宙、肉体宇宙での時間ベクトルである過去から未来へ流れる時間の中で、進化論を語りました。それは正しいのです。


しかし、精神宇宙の世界では過去から現在に流れ未来へ流れる時間のベクトルの視点から見ると、退化論なのです。


1000年先の未来の我々が相変わらず、様々な理論を駆使して老子やお釈迦様の語った真髄をああでもないこうでもないと悩んでいる姿が見えます。


精神宇宙の退化論こそ我々が自覚すべきことなのです。


つまり、精神宇宙では、時間が未来から過去へと流れているからです。

ここでで注意しなければならないのは、精神宇宙が物質宇宙のベクトルに従い物質宇宙のエントロピーが増大して、朽ちる時、つまり肉体が無くなる時、我々は神の領域にどんな人でも入るのです。
精神宇宙では退化論と言いましたが、最終的には、不思議なことに、完全なる退化は最高の魂の状態と一致するのです。これは陰を極めれば陽の中心に太極図の原理に従うからです。


つまり、人生を一生懸命に努力した人も、人生をいい加減に過ごした人も同じように神の領域に、魂の幽体の領域に入るのです。親鸞聖人が「悪人なおもて往生す。況や悪人おや」と語られたのはこのことです。ただいい加減に過ごした人は満足しないので再びこの世に戻ることを希望するのです。

この世界はアバターゲームですから、どのように過ごすかはあなた次第です。


いい加減な人生を過ごすと、童話の「百万回死んだ猫」のように本当に他人を自分と同じように愛する事を学ぶまで、で何度も何度もこの世に戻ることになります。

私がこの事実に気がついてから悟りを拓くために苦労する必要はないと気がついたのです。


人間だけが自分以外のものになりたいと努力している。

時の流れに身を任せて、漂うように行ければいい。

ただ゙感謝して今を楽しんで生きる事が最も大切だと気がついたからです。
毎日が楽しい。毎日が楽しく遊べばいいと感じています。
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by masashirou | 2010-05-15 19:57  

地上も光で溢れている

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毎朝太陽を見ている。山の間から昇る朝陽を見ている。太陽は今日もきらきらして大変美しい。ほとんどの人がこんな素晴らしい天体ショーを見ないで一日を始める。もったいない。テレビや映画よりこんな素晴らしい壮大な神聖なショーは無い。もちろんただである。日本の子供の55%が14歳まで、朝陽や夕陽を見たことがない統計資料が報告されている。親や教師が太陽と夕陽を見る素晴らしい経験を忘れている。もったいない。午前中の日差しは美しい。新緑が美しい。花も美しい。地上世界は光りに満ちている。有り難い一日の始まりだ。今日も元気に働こう。
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by masashirou | 2010-05-15 07:38  

日本人の脳と欧米人の脳の違い

日本人の脳と欧米人の脳の違いの最新の研究データがあります。
日本人の脳は水のせせらぎやコオロギの虫の音を論理や言語を司る左脳で理解しようとするのに対し、欧米人は単なる音として処理する右脳で理解するというのです。

日本人の脳は自然からだされる音が自然を司る偉大な存在からの言語、メッセージとして理解しようという働きをするのです。

欧米人はアジアを文化の劣った地域であるという傲慢な考えを捨てなくてはいけません。

自然とは人類が支配するものでは無くて、日本人のように人類も自然のなかの一部であり、自然との共存を大事に思う心、精神を学ばなければならないのです。自然は多様性と相互扶助、共存の原理を人類に教えています。

近年自然と人類が共に進化しようと試みた古代文明が発見されました。ブラジルとボリビアに広がるもモホス文明です。
この文明は人類が自然を克服しながら文明の進化を求めるものではありません。自然のシステムをうまく人類の文明の進化に取り込み、自然と共生しながら高めていこうという共進化文明です。
興味深い事に、その大地から発掘されたシャーマンの人骨のDNA分析からこの文明を創造した民族は古代日本の人骨と一致しています。自然の大きな意志に従って生きる知恵を持つ原日本人の智恵を欧米人は謙虚に学ぶ時がきました。

アジアでも中近東でも欧州でも、世界中、過去の怨みを永遠に忘れず、復讐のための報復戦争を繰り返している現代国際社会において、この人類の文化遺産ともいえる『日本精神』を、欧米社会もおおいに、学ぶべきだと思うのです。

今こそ、たった一人の人間を殺しても怨念をうければ呪い殺されるという日本的思考を世界に広める時が来たように痛切に感じます。

そうしないと世界で唯一の原爆被爆国である日本も、アメリカのように大量殺戮兵器を持ちたい、使用しても構わないと思うようになるでしょう。その時が人類の歴史から、核の恐怖の歯止めが失われる時なのです。

大量殺戮を平気で行う欧米諸国や中近東の諸国やアジアの人達に日本の怨念の概念が浸透することが出きれば、怨念の怖さが戦争の危機を回避させる精神土壌を人類共通の記憶の海に作れる可能性があると思うのです。

東洋では、老子は『怨みに報いるに徳を以て報いなさい』という言葉を残しています。 また、西洋にも、例えば、古代ユダヤ、バビロニアのハンムラビ法典には『眼には眼を、歯には歯を』という言葉があります。

現代では、この言葉は復讐を薦めているように誤って使われています。しかし、この言葉は、古代において、復讐のために敵の民族を根絶やしにする野蛮な行為を戒める言葉なのです。つまり、復讐の範囲を拡大するな『眼を突かれた者は命を奪ってはならぬ』という戒めの言葉です。

新約聖書ではそれをさらに、大きく深めて、キリストは『悪人に手向かってはならない。誰かが右の頬を打つなら左の頬をも向けなさい』

『敵をも愛しなさい。敵を許し自分を迫害する者の為に祈りなさい』という言葉を残されました。

復讐にたいする人間のあり方を教えています。この世界もこの2人の偉大な賢人の言葉に従い、『復讐のない理想郷」を最後には実現できると確信します。

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by masashirou | 2010-05-13 23:29  

足跡

信仰心の篤い男が今まさに、あの世に旅たとうとしていた。
男の魂は老衰した肉体を離れ、天空の光の中にいた。
天空から自分の歩んだ人生の道を眺めていた。

男が歩いた人生の道には、二つの足跡が残されていた。
男はもう一つの足跡が神さまの足跡だと即座にわかった。
長い人生のほとんどが男は神さまと共に暮らしたのは間違いなかった。

男はつぶやいた。

「私はいつも神と共に歩いてきた。しかし、人生の道を振り返った時、一番苦しい時にあなたはそばにいなかった。何故なら2人の足跡がズーと続いてきたのに、苦しい時の足跡は私一人の足跡だけだった・・・・・・」

男は輝く光に尋ねた。

「神さまは何故、私が一番そばにいて欲しい時にいなかったのですか?」


光は男に慈愛に溢れた声で答えた。


「その足跡を良く見なさい。そのよろめいたような足跡は私が悲嘆で打ちのめされた汝を背負って歩いた足跡なのだ」

ひとつの足跡は神さまの足跡だった。

男の顔に涙が溢れた。
男の魂はあの世に吸い込まれるように消えていった・・・・・。
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by masashirou | 2010-05-13 21:53  

右脳的な生き方のすすめ

右脳は5次元世界と繋がる脳の機能を果たしています。左脳はこの世で生きる機能を果たしています。どちらも大切な脳の機能です。右脳は一瞬にして五感からの情報を並列処理をして膨大な情報を今という瞬間に手に入れることが出来ます。左脳はそれらの情報を直列的に情報の重要度を分析して並べ替え処理をします。直列処理をすると、時間という線が出来ます。ここではじめて今という一瞬が過去と未来に分類されるのです。これは過去の情報、これは更に過去の情報。そうして未来の行動を時間軸に沿って想像することが出来ます。また、五感から右脳が得た空間情報を立体的に情報を組み立てます。又視覚情報の映像を各部分に名前を付けてその立体情報を組み立てます。それにより、自分の身体の領域と環境や他者の立体映像を認識します。時空という認識から行動がはじめて可能になるのです。つまり変化することが出来るのです。

右脳世界では全て宇宙の全てがひとつに繋がる感覚が強く認識出来ます。安らぎの世界です。他者という意識が存在しません。ですから平和な感覚の中で漂う感じです。しかし、自分の固有の波動領域を漠然と感じる事が出来ます。これが幽界、5次元世界における自我です。


右脳と左脳は脳梁により、強く連結されています。そのために、右脳と左脳とが描く情報を区別する事が出来ません。しかし、右脳と左脳の仕組みを理解すれば、憎しみや差別や区別や他者との比較意識やそれらの感情が左脳が作り出す情報である事が即座に判断出来るのです。右脳だったらどのような判断するかという思考過程を得ることで、脳を、たとえば目の前に置いた連結した2台のノートパソコンのようにイメージすると、右のパソコンの情報と、左のパソコン情報を較べどのように行動すべきか冷静に判断することが出来るのです。

8年間、右脳だけで生活をした脳機能学者テイラー博士は、回復した現在、右脳と左脳をまるで2台
のノートパソコンのように使い分けて、苦しい時は右脳の感覚で、左脳が指示する争えとか、比較せよという指令を無視する事が出来るそうです。

私たちも、そのイメージで脳を切り離して、思考する試みをしてみませんか?楽しいですよ。
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by masashirou | 2010-05-13 14:55