2011年 03月 20日 ( 2 )

 

映画「ラブリーボーン」の世界観

映画「ラブリーボーン」という映画が上映され、大評判です。今日はその映画から宇宙の仕組みを解説しましょう。

この世が魂がアバターである肉体を借りて様々な経験を楽しむ仮想のバーチャル世界である事がこの映画を見れば良く理解することが出来ます。

物語は、アバターである肉体から魂が、恨みややり残した事がある為に、あの世とこの世の間にさまよう少女の物語です。

天国への中間点にある世界が見事に映像化されていることで評判の映画です。浮遊霊になってしまった少女は自分を殺害した近隣の男を父や妹に告げるためにあの世に向かう扉を開けることが出来ないのです。それと初恋のボーイフレンドの少年とのファーストキスをしたい願いから彷徨う浮遊霊となり苦しんでいます。

最近のあの世の世界の研究が急激に世界中で量子力学や宇宙工学や、脳機能工学の進化で進んだ影響で、この映画も科学的な裏付けに沿って脚本が練られています。

昔のハリウッド映画なら勧善懲悪で、犯人は厳しい罰で死んでしまうストーリー、たとえば「ニューヨークのゴースト」のように、犯人が死ぬと黒い悪魔みたいな複数の影が地獄に引きずり込むみたいなシーンが出てきて観客は納得し、安心できるストーリー展開でした。やっぱり悪いことをすると、地獄に堕ちるんだ!と安心します。事実、この映画が上映された3週間のニューヨークの犯罪が30%も激減しました。これは犯罪抑止にいかにメディアが重要であるか示唆していますね。話が少しそれたので映画に戻りましょう。

ところが、この映画は、最近の霊のシステム解釈に従い、脚本が作られているので、浮遊霊の少女の活躍は犯人に風を吹きかけるくらいの仕返ししかできないのです。肉体から離れた幽体の限界を悲しいまでに描き出しています。その結果、エンディングは、なかなか許し難い結末になっています。死んでしまうとバーチャルの世界のこの世の事は全て、許しの対象になるのです。「その通り」と最近あの世の仕組みを研究していると左脳では理解していますが、右脳では、犯人が警察にも捕まらないので後味が良くないのです。善人が次々と理不尽な不孝に巻き込まれます。胸が苦しくなります。

聖書にも「死者は生者をわずらわせず」という言葉があるように、肉体を離れた幽体の霊魂はこの地上世界では、むなしい存在です。映画では、自分の死体が金庫のなかに封印されて、大きな穴に犯人が転がして捨てようとする現場が最後に描かれています。観客は少女が復讐にきたと期待します。その期待は裏切られました。なんと、少女の浮遊霊は、復讐より、霊が見える女の肉体に憑依して、その女と交際をし始めたあこがれのボーイフレンドとキスをするのです。


このシーンには深い意味があります。このあと少女は犯人に復讐することなく、天国に旅立っていく。これを見れば、幽体の霊がいかに肉体をとうしてしか得られない感動を求めて、また、孤独を癒すために、他者との繋がりを求めているかが良く理解できます。地上の憎しみは仮想世界の出来事です。肉体から離れた魂は復讐という感情よりも恋人とのキスを最後に求めるのです。他者とであい、愛し合う、触れ合う。この為に宇宙のビッグバーンをおこしたのです


最近、あの世の事ばかり考えていましたので、映画を見ていると息苦しくなって、席を立とうと思ったくらいくらい悲しい映画でした。しかし、あの世は美しく平和な恨みのない世界であると描かれています。これは事実です。映画には霊を見ることが出来る不思議な少女が登場します。見えないものを見ることが出来る人間もいると思います。映画館の前の席には多くの浮遊霊がたくさん、見に来ていました。途中で出ていく男性もいたくらいです。私も、身体が異様な痛みと寒気と吐き気を覚えました。映画の後で、気持ちが悪くなり、近くの九州伊勢神宮に立ち寄り、陰気な気をお払いにお参りをしました。

考えてみると、生きている限り、死なないのである。あまり、死後のことなど真剣に考えないで、生きている人生の一日一日を楽しんで生きることに専念した方がいいと改めて、気がつきました

全てがわかるという事は不可能です。鏡の部屋で自分探しをしているような感じです。ひとつの疑問が解決したら次々と新しい疑問が沸いてきます。あの世とこの世のシステムは次第にわかってきましたが、それがどのようにシステム運営されている仕組みが解明されても、肝心のどうして陰の宇宙と陽の宇宙が「ある」のか?いう根源的な存在する意味論は永遠の謎です。



それはお釈迦様や老子様でもわからなかった謎であり、問だったのです・・・。


それほど、宇宙の根源は深く、複雑であり、広大で、また同時に浅く、極小で、太極図の紋様に従い、単純でシンプルです。

ただ、この世が仮想で、バーチャルの脳が描き出した世界だと左脳で理解することが、右脳の欲望と煩悩の世界から人間が解脱することに役に立つことは事実です。

それが、釈迦様が涅槃の時に説いた教え「仏遺教経」の「吾は唯足るを知る」と老子が最も大切な言葉として後世に残した「知足」をより実行する勇気を与えるという意味があるのです。


日々感謝。一日一日、「足を知る」生き方をするだけでいいんだ。「悟り」はもういいと考えるようになった一日でした。

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by masashirou | 2011-03-20 09:56  

映画「アバター」と映画「サロゲート」に見る世界観

宇宙を認識する「我」「自我」という意識こそが根源的な存在です。

我々がこの世の物質宇宙の世界で幸福と感じる瞬間があります。それは他者が自分と繋がっていると思えた時です。我々がこの物質宇宙の世界に遊びに来た大きな理由は、他者との出会い、お互いが愛し合い、相互に助け合いそれを求めて、孤独を癒す為に、遙々遠い未来からやって来ているのです。いわば、人生は「壮大で偉大な暇つぶし」なのです。


3D映画「アバター」という映画が大ヒットしています。

映画「アバター」で描かれている仮想の世界も、3Dの画面で体験すると、情報宇宙のリアリティが物質宇宙のリアリティにかなり近いと体感できます。五感のうち、視覚、聴覚を刺激するのみですが、かなりのリアリティを体感できるのです。映画の内容は、22世紀、地球から遠く離れた惑星パンドラへとやってきた元海兵隊員ジェイクは、自らの分身となる“アバター”を操り、先住民ナヴィと交流するが、やがて鉱物資源を巡って勃発する人類とナヴィとの戦争に巻き込まれていきます。

惑星に眠る稀少鉱石を開発するアメリカ企業に雇われた海兵隊で両脚を損傷した若者が主人公の物語です。稀少金属鉱床の上に暮らすノビ族という3メートルの頑強な身体を持つ「人類」が生息しています。主人公は、DNAでノビ族と人間のDNAを合成したアバター肉体の中に、心、つまり、若者の情報を移動させるのです。彼のアバターを使い、ノビ族が鉱床の上から立ち退かせる命令を受けます。この場合、同じ次元での魂・情報の移動という設定です。


映画「アバター」の予告編です。




ですから肉体は二つこの世に存在します。そうした違いはありますが、我々の肉体も情報世界に存在する「心・情報」のアバターなのです。
まさに、物質宇宙に住む我々はアバターの主人公のように別世界、次元の異なる情報世界にいる「意識・心」が、物質宇宙の最もリアリティを感じられるDNAを駆使して製造した肉体の中に入り込み、この世に生きて無限の孤独を癒すために遊び、学んでいるのです。
神のいる情報宇宙は1人で1人の宇宙ですから、全てが自分の希望が全てかなう天国のような平穏な世界です。

次にこれも公開中の映画についてのお話です。ブルース・ウイルス主演の最新作映画「サロゲート」の描く世界についてお話します。それは、まさに、宇宙の仕組みを描いています。簡単に映画のストリーをご説明しましょう。




主人公のFBIの刑事は初老の捜査官であるが、サロゲートと呼ばれるロボットに自宅で脳をネットワークで繋いで仕事をしています。ロボットは事故にあっても、殺されても自宅の人間には危害が及ぶことがないのです。世界は人間で生きようとする人間で生きる自治区と区分されて運営されています。自治区以外の世界では、全員が自分の希望する代理ロボット若い理想の姿をした「サロゲート」を使用して、働き、生活をしている。人間は「自己の魂」として、希望するサロゲートを使い自宅の脳波動転送装置に寝ています。肌の色で差別されたり、見かけのルックスや身長などの肉体の若さや性別で差別されない平等で公平な世界です。

どちらの映画も意識と肉体が離れた場所からコントロールされている未来を描いています。「アバター」では、肉体は遺伝子操作で作製された肉体、「サロゲート」での肉体は金属やゴムで製作されたロボットです。これらの映画では、同じ次元の中で、アバターやロボットの「肉体」を使い人類が生きる世界を描いています。しかし、実際の宇宙では魂のいる影の宇宙、(あの世、情報宇宙、五次元世界)から自己という意識が、陽の世界、つまり、この世の肉体のアバターを使い、生活していますので、映画の描く世界とは少し異なりますが、コンセプトは同じです。

私は、将来人間は遺伝子操作で作られた肉体と金属や特殊なゴム素材で作られた臓器の混合された肉体をアバターとして使用すると思います。現在でもインプラントの歯は数千年も朽ちないほどの素材を使用しています。眼鏡やコンタクトレンズもロボットの機能を持った部品とも言えます。

私が、影の宇宙(あの世)と陽の宇宙(この世)の関係を類似したシステムで説明したいと考えたこのタイミングで、「アバター」や「サロゲート」のような映画が相次いで公開される事にシンクロ二ティを感じます。

とくに、左右の視差角度我異なる映像にシンクロして眼鏡のシャッターが反応する3D電子眼鏡を使い、長時間鑑賞する3D長編娯楽映画「アバター」は、人類が製作した映画の歴史の中で、わずかに、36日で、歴代一位の18億ドルの売上げを達成した作品です。まさに、バーチャル時代到来を予感させます。ちなみに、歴代の売上げ第一位の映画は同じ監督ジェームス・キャメロン監督の製作した「タイタニック」でした。ちなみにこの同じ売り上げを達成するのに1年6ヶ月の月日がを要しました。そのことから考えても、この映画が人類史上最大の興業成績を残す映画となることでしょう。人類の思想を変えるほどの映画は、既存の権力を保有する人たちには脅威となります。

いよいよアメリカでも映画「アバター」の上映禁止の動きが出てきた。
彼らの反対の理由は以下の通り。

反キリスト的である。アメリカの海兵隊に似た軍隊をを悪者として描いている。
神の命の木を敬う自然崇拝思想はキリスト信仰を否定する危険な思想である。

森の神々が宿ると信じていたドイツのゲルマン民族にキリスト教を布教させる時、キリスト教徒は神聖な森の木々を伐採して見せた。もし、森の神々がキリスト教のイエスより強いのならキリスト教徒に罰を与えるはずであるとゲルマン民族に語った。木々を切り倒し、森を消滅させたキリスト教徒は無事だった。ゲルマン民族は森の信仰を捨てた。ドイツ守護の聖人ボニファティウス(680年~754年)は8世紀にドイツ中央部のヘッセン地方全域のゲルマン人の信仰を集めていた御神木の巨大な樫の木を切り倒した英国生まれの宣教師です。カトリック教会にとって自然崇拝は敵なのです。

そんな記憶を呼び起こすとアメリカのキリスト教徒は反対したです。誠に愚かしい偏狭な考えのアメリカのキリスト原理主義者達です。ブッシュ大統領や彼らが世界第二位の石油生産を手にするためにイラク戦争や大麻の生産販売を手にするためにアフガン戦争、その戦争に大義を与える自作自演した911テロ事件を起こしたのも異教徒を根絶やしする偏狭な考えからです。

2010年のビッグサプライズとして、現在、アメリカの裁判所で、911テロ事件の遺族から訴訟されている911テロ事件の首謀者としてブッシュ元大統領は、オランダのハーグにある国際高等裁判所でも、大義無きイラク戦争の戦争犯罪人として裁かれるという話題がささやかれています。それほど、アメリカの国際的な信頼は経済も政治も失墜してしまいました。



中国も上映禁止の動きがありました。チベットやウイギル族の弾圧をイメージさせる反中国的映画だからです。先週から中国ではアバターの映画の一般公開が政府により大幅に縮小されました。
日本で公開中にぜひ、ご覧ください。私は2度見に行きました。


私は、次のような例え話しをします。

「地獄は様々な針や血の池などバラエティのある地獄絵が古来、描かれていますね。私たちは、天国の住人向けの「パッケージ地獄ツアー」に参加しているのです。皆さん、この世は「地獄」とよく言われるでしょう。この地球は、弱肉強食の原理が支配する地獄ゲームサイト(物理宇宙)なのです。地獄の中で、肉体(アバター)を駆使して愛しあったり、殺しあったりしながら最終ゴールをめざすのです。ゴールはもちろん、参加者全員で、地球を全ての生き物が助け合う、戦いのない平和な「天国」に創り上げて終わるのです。

我々が人間として誕生した目的は、自分が幸福になるため、そして、本当の幸福とは自分と同じように、他人が幸福と感じられる平和な理想の楽園を地球上に創造する事と気づく事なのです。そのために生きているのです。お金や名誉や地位を求めるために誕生したのでは無いのです。

ビックバンは、神々が「永遠の孤独と退屈」を癒す為に起こしたのです。

映画「マトリックス」の描く世界観のように、我々は宇宙コンピューターのサイバー空間に住む住人なのです。ですから、例え、戦争や病気やけがで死んでも「孤独」よりも楽しいから、また様々な精神状況を体験し、学ぶためにたくさんの神々がこの世で人間として誕生しているのです。

そう考えると、せっかく、遙か未来からこの世界に来たのであるから、地球を天国する素晴らしいゲームに参加しましょう。そして、ゲームですから、まず、リラックスして、生きることを楽しみましょう。

このような観点を持つと、全ての景色や動物や植物や、人間をみると、全ての物が愛おしく思えてきます。何で、君はそんなアバターを選んだの?とか、何で、ブルドッグのアバターで参加しているの?とか思えてくるのです。よくミミズを選んだねぇとかすべてのアバターの裏側にいる神さまたちに声をかけたくなるのです。「ミキシィ」の中で、自分の写真ヤイラストを「豚」にしたり、「花」にしたりしていますね。あれと類似しています。昔の日本人が石や木々や風や草などにも「仏や神」が宿ると信じているのは、正しかったのです。



「死」とはアバターを抜け出して、元の場所、神さまの宇宙に戻ることなのです。

やっと生きること死ぬ意味が分かりました。我々は宇宙の中にいます。その宇宙は各自が脳で作り出した世界です。1人1人が自分だけの宇宙の中にいるのです。自分が幸福になるためには、自分が幸福と思わない限り、なれないのです。自分が幸福の状態、つまり自分が自分であることに満足であるためには、老子は2500年前に次の言葉を残しています。「知足」。足るを知る。同じ時期にインドに誕生した仏陀は涅槃にはいる直前に説いたお経「仏遺教経」で、「吾唯足知」というこの言葉を残しました。同じ二つの言葉は、偉大な宇宙情報バンクから知恵からの最高のメッセージであると思います。

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by masashirou | 2011-03-20 09:49