2010年 05月 08日 ( 3 )

 

映画「ラブリーボーン」を見るとあの世がわかる

映画「ラブリーボーン」という映画が上映され、大評判です。今日はその映画から宇宙の仕組みを解説しましょう。



この世が魂がアバターである肉体を借りて様々な経験を楽しむ仮想のバーチャル世界である事がこの映画を見れば良く理解することが出来ます。

物語は、アバターである肉体から魂が、恨みややり残した事がある為に、あの世とこの世の間にさまよう少女の物語です。

天国への中間点にある世界が見事に映像化されていることで評判の映画です。浮遊霊になってしまった少女は自分を殺害した近隣の男を父や妹に告げるためにあの世に向かう扉を開けることが出来ないのです。それと初恋のボーイフレンドの少年とのファーストキスをしたい願いから彷徨う浮遊霊となり苦しんでいます。

最近のあの世の世界の研究が急激に世界中で量子力学や宇宙工学や、脳機能工学の進化で進んだ影響で、この映画も科学的な裏付けに沿って脚本が練られています。

昔のハリウッド映画なら勧善懲悪で、犯人は厳しい罰で死んでしまうストーリー、たとえば「ニューヨークのゴースト」のように、犯人が死ぬと黒い悪魔みたいな複数の影が地獄に引きずり込むみたいなシーンが出てきて観客は納得し、安心できるストーリー展開でした。やっぱり悪いことをすると、地獄に堕ちるんだ!と安心します。事実、この映画が上映された3週間のニューヨークの犯罪が30%も激減しました。これは犯罪抑止にいかにメディアが重要であるか示唆していますね。話が少しそれたので映画に戻りましょう。

ところが、この映画は、最近の霊のシステム解釈に従い、脚本が作られているので、浮遊霊の少女の活躍は犯人に風を吹きかけるくらいの仕返ししかできないのです。肉体から離れた幽体の限界を悲しいまでに描き出しています。その結果、エンディングは、なかなか許し難い結末になっています。死んでしまうとバーチャルの世界のこの世の事は全て、許しの対象になるのです。「その通り」と最近あの世の仕組みを研究していると左脳では理解していますが、右脳では、犯人が警察にも捕まらないので後味が良くないのです。善人が次々と理不尽な不孝に巻き込まれます。胸が苦しくなります。

聖書にも「死者は生者をわずらわせず」という言葉があるように、肉体を離れた幽体の霊魂はこの地上世界では、むなしい存在です。映画では、自分の死体が金庫のなかに封印されて、大きな穴に犯人が転がして捨てようとする現場が最後に描かれています。観客は少女が復讐にきたと期待します。その期待は裏切られました。なんと、少女の浮遊霊は、復讐より、霊が見える女の肉体に憑依して、その女と交際をし始めたあこがれのボーイフレンドとキスをするのです。


このシーンには深い意味があります。このあと少女は犯人に復讐することなく、天国に旅立っていく。これを見れば、幽体の霊がいかに肉体をとうしてしか得られない感動を求めて、また、孤独を癒すために、他者との繋がりを求めているかが良く理解できます。地上の憎しみは仮想世界の出来事です。肉体から離れた魂は復讐という感情よりも恋人とのキスを最後に求めるのです。他者とであい、愛し合う、触れ合う。この為に宇宙のビッグバーンをおこしたのです


最近、あの世の事ばかり考えていましたので、映画を見ていると息苦しくなって、席を立とうと思ったくらいくらい悲しい映画でした。しかし、あの世は美しく平和な恨みのない世界であると描かれています。これは事実です。映画には霊を見ることが出来る不思議な少女が登場します。見えないものを見ることが出来る人間もいると思います。映画館の前の席には多くの浮遊霊がたくさん、見に来ていました。途中で出ていく男性もいたくらいです。私も、身体が異様な痛みと寒気と吐き気を覚えました。映画の後で、気持ちが悪くなり、近くの九州伊勢神宮に立ち寄り、陰気な気をお払いにお参りをしました。

考えてみると、生きている限り、死なないのである。あまり、死後のことなど真剣に考えないで、生きている人生の一日一日を楽しんで生きることに専念した方がいいと改めて、気がつきました

全てがわかるという事は不可能です。鏡の部屋で自分探しをしているような感じです。ひとつの疑問が解決したら次々と新しい疑問が沸いてきます。あの世とこの世のシステムは次第にわかってきましたが、それがどのようにシステム運営されている仕組みが解明されても、肝心のどうして陰の宇宙と陽の宇宙が「ある」のか?いう根源的な存在する意味論は永遠の謎です。



それはお釈迦様や老子様でもわからなかった謎であり、問だったのです・・・。


それほど、宇宙の根源は深く、複雑であり、広大で、また同時に浅く、極小で、太極図の紋様に従い、単純でシンプルです。

ただ、この世が仮想で、バーチャルの脳が描き出した世界だと左脳で理解することが、右脳の欲望と煩悩の世界から人間が解脱することに役に立つことは事実です。

それが、釈迦様が涅槃の時に説いた教え「仏遺教経」の「吾は唯足るを知る」と老子が最も大切な言葉として後世に残した「知足」をより実行する勇気を与えるという意味があるのです。


日々感謝。一日一日、「足を知る」生き方をするだけでいいんだ。「悟り」はもういいと考えるようになった一日でした。

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by masashirou | 2010-05-08 10:46  

奇跡の住人

惑星について
銀河宇宙には、惑星は3種類有る。巨大氷の惑星(陰の惑星)、水の惑星(陰の陽の惑星と陽の陰の惑星の混合体)、巨大水素ガスの惑星(陽の惑星)である。

生命が住む惑星は水の有る惑星(陰の陽の惑星と陽の陰の惑星の混合体)である。。

環境から区分すると、氷の惑星、水の惑星がふたつ二分かれて、陸の惑星と海の惑星、水素ガスの惑星と4つに区分される。

陸と海が共存する水の惑星でないと生命は生存出来ない。

火山活動で排出される二酸化炭素ガスが地球生命をを紫外線から生命を守り、温暖な環境を創る。しかし、あまり二酸化炭素ガスが増えすぎると、地球は雨を使い、陸の山々を浸食してカリシュゥムを削り取り、流出させる。カリシュゥムは二酸化炭素ガスを炭酸カリシュゥムとして取り込み、海に運ぶ。海溝に沈みやがてマントル対流で、地球の内部に再び回収される。地球はまるで生命体のようにこの炭酸ガス量をコントロールしている。

人類が京都議定書を遵守して二酸化炭素ガスを規制する試みも地球自体のこのシステムと較べたらほとんど影響を及ばさないくらいの努力でしかない。それほど地球の変化は巨大なのだ。

小さな台風でも人類は制御できないのに、人類が地球を救おうなどという西洋の発想は、自然を支配できるという西洋の科学万能主義の思考の延長線上に有る考えだ。東洋は自然のと調和を思考する。

水素ガスの惑星や氷の惑星があるがそこには生命を育む条件はない。

地球は銀河系宇宙でも奇跡的な好条件で生命が生存出来る星である。

私たちは奇跡の星に生む住人である。
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by masashirou | 2010-05-08 10:24  

ビックバンの謎

ビックバンは、神々が「永遠の孤独と退屈」を癒す為に起こしたのです。

映画「マトリックス」の描く世界観のように、我々は宇宙コンピューターのサイバー空間に住む住人なのです。ですから、例え、戦争や病気やけがで死んでも「孤独」よりも楽しいから、また様々な精神状況を体験し、学ぶためにたくさんの神々がこの世で人間として誕生しているのです。

そう考えると、せっかく、遙か未来からこの世界に来たのですから、地球を天国する素晴らしいゲームに参加しましょう。そして、ゲームですから、まず、リラックスして、生きることを楽しみましょう。

このような観点を持つと、自分の人生に関与する全ての景色や動物や植物や、人間をみると、全ての物が愛おしく思えてきます。自分が望んで製作したゲームにユニークなキャラクターで自分の人生に彩りを与えてくれる貴重な存在達です。
では、どうして自分が設計した人生ゲームなのに、思いがけない不幸や困難な出来事が起こるのは理解出来ないと言われる人がいます。

考えてみてください。スピードカー・レーシング・ゲームで自分で困難な上級コースを選ぶ人がいるように、自分の熟練度に応じて、あえて、困難なコースを選ぶのです。スーパーマリオゲームが平坦な道をただ進むだけのゲームなら誰も買わないとおもいませんか?
崖や洞窟や谷が現れ、妨害する魔物やさまざまな試練をクリヤーしないと、ゴールにはたどり着くことが出来ません。だからこそ世界中のゲームの愛好者が購入するのです。自分の人生の苦労や困難や予期せぬ出来事も本当のあの世の自分が希望して設定したのです。その記憶があるとゲームのおもしろさが半減するので自分で記憶を封印して遊んでいるのです。

全ての困難は自分が望んで人生ゲームに仕込んでいるのです。ですから自分で超えられない困難は神は与えていないとキリストが聖書で語ったのは真実なのです。
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by masashirou | 2010-05-08 08:30