2010年 02月 12日 ( 5 )

 

友愛の本当の意味

鳩山総理が掲げる「友愛」の精神の本当の意味

現在の先進国の民主主義国家の理念はフランス革命から誕生しました。

『リベルテ(自由)・エガリテ(平等)・フラテルニテ(友愛)』のうち、フラテルニテを私たち英国民はフラターニティ(博愛)、つまり(大きな愛の心で他者と仲良くする)と英語に訳しました。それが誤訳だったのです。フランスでは、シラク大統領はじめ、歴代のフランス大統領はフラテルニテ(友愛)を次の言葉で言い換えて演説をしています。
それは『レスペ・オ・ゾートル』という言葉です。英語で言えば『レスペクト・フォー・アザーズ(異質な他者を尊重する)』。


寛容の精神こそ「友愛」の本当の意味なのです。
ローマ帝国が征服した他民族の神々との共存を禁止してキリスト教だけを唯一の宗教に制定した時から、つまり、「寛容の精神」を無くした時から欧州を支配した偉大な帝国は崩壊を始めました。20世紀の覇権国「アメリカ帝国」も同じ運命をたどります。

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by masashirou | 2010-02-12 15:23  

時間も空間も人間の意識が作り出した幻想なのです。

時間も空間も人間の意識が作り出した幻想なのです。

宇宙の宇は空間、宙は時間、宇宙とは空間と時間で創られている。

太極図の「陰」の世界が形の無い波動の世界、「無」の世界、情報宇宙の空間。
「陰の陽」が未来から過去へ流れる時間。

「陽」の世界が、形がある「有」の世界、物質宇宙の空間。
「陽の陰」が過去から未来へ流れる時間

この二つの宇宙は相対的な関係にある。相互補助の関係。二つの宇宙が融合してひとつになると、「空」の世界となる。

時間が未来から過去に流れるという教えは古代インドの仏教の教典(部派仏教・アビダルマ哲学)にも書かれています。しかし、西洋的な、原因と結果により実証する科学的観点では、絶対に「原因」が未来に有り、「結果」が過去にあるという考えは出来ません。しかし、東洋思想では、自由に未来と過去を逆転させる事が出来るのです。
未来にある「原因」が、過去にある「結果」を創りだすのです。この事を素直に理解出来る方は少ないと思います。それは、当然です。我々は、誕生以来、過去から未来へ流れる時のベクトルに慣れているからです。

量子的宇宙論で知られる英国ケンブリッジ大学の車椅子の天才物理学者ホーキンス博士も、「宇宙は今膨張を続けているが、将来のある時点で最大膨張に達する。そうすると宇宙は収縮を始める可能性がある。宇宙の膨張期には時間は過去から未来へと流れるが、収縮期に入ると未来から過去へと時間が流れる、つまり時間の逆流が起こるだろう。」と、言っています。収縮期には、物理宇宙もの時間も未来から過去へ流れる可能性もありそうです。その時には、情報宇宙の時間は当然、過去から未来へ流れると思います。

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by masashirou | 2010-02-12 15:12  

映画「ラブリーボーン」という映画を見ればあの世の仕組みがわかる

映画「ラブリーボーン」という映画が上映され、大評判です。今日はその映画から宇宙の仕組みを解説しましょう。



この世が魂がアバターである肉体を借りて様々な経験を楽しむ仮想のバーチャル世界である事がこの映画を見れば良く理解することが出来ます。

物語は、アバターである肉体から魂が、恨みややり残した事がある為に、あの世とこの世の間にさまよう少女の物語です。

天国への中間点にある世界が見事に映像化されていることで評判の映画です。浮遊霊になってしまった少女は自分を殺害した近隣の男を父や妹に告げるためにあの世に向かう扉を開けることが出来ないのです。それと初恋のボーイフレンドの少年とのファーストキスをしたい願いから彷徨う浮遊霊となり苦しんでいます。

最近のあの世の世界の研究が急激に世界中で量子力学や宇宙工学や、脳機能工学の進化で進んだ影響で、この映画も科学的な裏付けに沿って脚本が練られています。

昔のハリウッド映画なら勧善懲悪で、犯人は厳しい罰で死んでしまうストーリー、たとえば「ニューヨークのゴースト」のように、犯人が死ぬと黒い悪魔みたいな複数の影が地獄に引きずり込むみたいなシーンが出てきて観客は納得し、安心できるストーリー展開でした。やっぱり悪いことをすると、地獄に堕ちるんだ!と安心します。事実、この映画が上映された3週間のニューヨークの犯罪が30%も激減しました。これは犯罪抑止にいかにメディアが重要であるか示唆していますね。話が少しそれたので映画に戻りましょう。

ところが、この映画は、最近の霊のシステム解釈に従い、脚本が作られているので、浮遊霊の少女の活躍は犯人に風を吹きかけるくらいの仕返ししかできないのです。肉体から離れた幽体の限界を悲しいまでに描き出しています。その結果、エンディングは、なかなか許し難い結末になっています。死んでしまうとバーチャルの世界のこの世の事は全て、許しの対象になるのです。「その通り」と最近あの世の仕組みを研究していると左脳では理解していますが、右脳では、犯人が警察にも捕まらないので後味が良くないのです。善人が次々と理不尽な不孝に巻き込まれます。胸が苦しくなります。

聖書にも「死者は生者をわずらわせず」という言葉があるように、肉体を離れた幽体の霊魂はこの地上世界では、むなしい存在です。映画では、自分の死体が金庫のなかに封印されて、大きな穴に犯人が転がして捨てようとする現場が最後に描かれています。観客は少女が復讐にきたと期待します。その期待は裏切られました。なんと、少女の浮遊霊は、復讐より、霊が見える女の肉体に憑依して、その女と交際をし始めたあこがれのボーイフレンドとキスをするのです。


このシーンには深い意味があります。このあと少女は犯人に復讐することなく、天国に旅立っていく。これを見れば、幽体の霊がいかに肉体をとうしてしか得られない感動を求めて、また、孤独を癒すために、他者との繋がりを求めているかが良く理解できます。地上の憎しみは仮想世界の出来事です。肉体から離れた魂は復讐という感情よりも恋人とのキスを最後に求めるのです。他者とであい、愛し合う、触れ合う。この為に宇宙のビッグバーンをおこしたのです


最近、あの世の事ばかり考えていましたので、映画を見ていると息苦しくなって、席を立とうと思ったくらいくらい悲しい映画でした。しかし、あの世は美しく平和な恨みのない世界であると描かれています。これは事実です。映画には霊を見ることが出来る不思議な少女が登場します。見えないものを見ることが出来る人間もいると思います。映画館の前の席には多くの浮遊霊がたくさん、見に来ていました。途中で出ていく男性もいたくらいです。私も、身体が異様な痛みと寒気と吐き気を覚えました。映画の後で、気持ちが悪くなり、近くの九州伊勢神宮に立ち寄り、陰気な気をお払いにお参りをしました。

考えてみると、生きている限り、死なないのである。あまり、死後のことなど真剣に考えないで、生きている人生の一日一日を楽しんで生きることに専念した方がいいと改めて、気がつきました

全てがわかるという事は不可能です。鏡の部屋で自分探しをしているような感じです。ひとつの疑問が解決したら次々と新しい疑問が沸いてきます。あの世とこの世のシステムは次第にわかってきましたが、それがどのようにシステム運営されている仕組みが解明されても、肝心のどうして陰の宇宙と陽の宇宙が「ある」のか?いう根源的な存在する意味論は永遠の謎です。



それはお釈迦様や老子様でもわからなかった謎であり、問だったのです・・・。


それほど、宇宙の根源は深く、複雑であり、広大で、また同時に浅く、極小で、太極図の紋様に従い、単純でシンプルです。

ただ、この世が仮想で、バーチャルの脳が描き出した世界だと左脳で理解することが、右脳の欲望と煩悩の世界から人間が解脱することに役に立つことは事実です。

それが、釈迦様が涅槃の時に説いた教え「仏遺教経」の「吾は唯足るを知る」と老子が最も大切な言葉として後世に残した「知足」をより実行する勇気を与えるという意味があるのです。


日々感謝。一日一日、「足を知る」生き方をするだけでいいんだ。「悟り」はもういいと考えるようになった一日でした。

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by masashirou | 2010-02-12 12:58  

『文明の衝突』

『文明の衝突』というのは文明の根底にあるものが異なるという恐怖を植えつけるために創られた幻想です。世界の宗教の根底では同じサムシング・グレートの存在を讃えています。

イスラムでは『アラー』、ユダヤでは『エホバ』、キリスト教では『ゴッド』、インドでは『仏』、中国では『天』、日本では『神』とそれぞれ、異なる名前が付けられました。

いま世界を大きな憎しみの連鎖に導いている、争いの根源の宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラムの3つの宗教は、同じ旧約聖書を聖典とする同根の宗教であります。


『何事のおわしますかは知らねども ただありがたさに 涙あふるる』

12世紀の中世の日本の仏教徒である西行法師がこの歌を詠みました。

この僧侶が異なる宗教の伊勢神宮を訪れた時、神社の参道に流れる清らかな川の前で、心を激しく打たれて詠んだ歌です。

人の心を感動させる尊い存在、『サムシング・グレート』という存在は同じなのです。

世界はただ名前が違う『尊いもの』を信仰し、その名前のために殺しあっています。

この日本的精神に我々は大いにまなぶべきだと思うのです。

根源は同じサムシング・グレートの存在を讃える同じ宗教だったのは歴史的事実です。

同じものを信じる文明同士が衝突するはずは無いのです。人間がつけた名前が異なるという理由だけで、多くの人間たちが殺し合いをしています。私は必ず、お互いの違いを超えて理解し合い、和解し、共存することが出来ると信じています。

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by masashirou | 2010-02-12 00:28  

「ワープした余剰次元理論

この十年の間に、別の研究分野の画期的な進歩があった。アメリカのアリゾナ大学の心理学者ゲーリー・シュワルツ博士の「動的システム記憶仮説」や、英国のケンブリッジ大学のルパード・シェルドレイク博士の「形式的因果作用説」、説明不可能なデザインや意志が、あらゆる物質に影響を与えていることを認める科学を創ろうという、アメリカの新しい科学運動といえる「インテリジェント・デザイン」理論などである。
 また、宇宙を「陽のこの世」と、実数と虚数の波動関数で形成されている「陰の複素数空間」の二重構造と考える波動関数宇宙理論や、人間の認識と観察が量子のふるまいや宇宙そのものに大きく影響すると主張する量子力学論や、人間が三次元で理解できない複数の世界が同時に存在するという、平行宇宙理論や、余剰次元宇宙理論、多重宇宙論などが次々と発表された。それにつれて、超心理学会にもロナルド仮説を見直す動きが出てきた。
 特に、ハーバード大学の美貌の女性理論物理学者リサ・ランドール博士が、一九九九年に発表した「ワープした余剰次元理論」は、目に見えない高次元世界の存在を裏付ける画期的な仮説として、ロナルドに勇気を与えた。





彼女は、台所の焦げないフライパンの「準結晶」と名前がつけられた、表面加工技術が作り出すコーティングこそが、われわれが認知できる三次元の世界以外に、高次元の世界が存在する証拠であると考えた。「準結晶」は、通常の結晶と異なり、法則性が見つからない謎の結晶である。しかし、高い次元の世界では、きちんとした法則性がある結晶になっており、三次元の世界では、情報が欠損して見える。つまり、「影」として映し出されるために、その法則性、規則性が認められないのではないかと主張した。また重力が、磁力などのほかの力と比べて非常に弱い力しかない理由として、重力は、別の次元の宇宙では、遙かに「強い力」として存在しているが、高次元の世界が湾曲しているために、三次元世界では「弱い力」になる。そして、重力が高次元の世界からこの世界に「影」として作用する力であるからという仮説を打ち立てた。
 これは、暗黒物質が膨大な重力を保持し、宇宙の暗闇に存在するという「陰の宇宙論」の解明にもなる画期的な理論である。また、別の高次元の世界、目に見えない「陰の世界」と目に見える「陽の世界」が何らかのつながりが有ること、両方の世界が準結晶などの「三次元世界では魔法のような働きをする、不思議な技術」や現象、「重力」や「思念」などの弱い力で、ワープする未知の通路が存在することも説明できる、革新的な仮説であった。

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by masashirou | 2010-02-12 00:22