開運!老子哲学カフェ 2012年、第一回 一月二十九日開催 題 第一章 「 道 」 第一時限目 講座タイトル

開運!老子哲学カフェ
2012年、第一回 一月二十九日開催
題「  第一章    道             」
第一時限目ー講座タイトル

老子道徳経の原典に学ぶ「道」とは?

1章
道可道非常道。名可名非常名。
無名天地之始。有名萬物之母。
故常無欲以觀其妙。常有欲以觀其徼。
此兩者。同出而異名。同謂之玄。玄之又玄。
衆妙之門。

道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべくは常の名に非ず。
名無きは天地の始め、名有るは万有の母。
故に常無を以ってその妙を見んと欲し、常有を以ってその徼(きょう)を観んと欲す。此の両者は、同じきに出でて而も名を異にす。名前が全く異なるもの。同じくこれを玄と謂い、玄のまた玄は衆妙の門なり。

白木正四郎 訳

老子は根源的な存在を神ではなく「道」という名前をつけた。道を道と名前をつけた瞬間から本来の道から遠ざかる存在になる。名前を人間はつけて左脳ではなく理解しようと試みる。名前をつけた瞬間から本当の存在から遠ざかる存在となる。本当の存在には名前が無いのだ。名前を得た時から全ての物が産み出される。本当の存在は心を無欲にしている瞑想するとその凄さに気がつくが、少しでも欲を持って理解しようと左脳を使うと、その表面の現象しか見えなくなる。
この二つは同じ処から現れるものではあるが名前が異なる別物となる。私はこのどちらも楽しみたいと思う。これらは不可思議な現象あるが、すべてがこの不可思議な不可思議な世界から万物が誕生する。

解説
人間はすべてのものに名前を付けたがる。名前を付けると理解したと錯覚する。しかし、名前をつけただけでその本来の存在を全ての理解したことにはならないのだ。
例えばバナナと名前をつけた時、バナナは他のあらゆる果物から隔離されて切り離される。バナナはその切り離された悲しみのだ世界で生きることになる。本当は、バナナは果物で、また、植物であったのだ。そして、動物や、鉱物たちと同じように地球上の物であったのだ。さらに、目に見えない物たちと同じように在るという仲間だったのだ。そして、在るは、さらに、無いという仲間と一緒であったのだ。さらに、さらに、全てが道とという根源的な処にいたのだ。
本当はみんな繋がっているのだ。

分離された意識が悲しみや憎しみを作るのだ。
深いとこで全てがつながっている。それが老子のいう一筋の道なのだ。その道には息を飲むような緻密に設計されたシステムが在る。その道を設計者に畏敬の念を抱き、その神秘の道から誕生した自分自身に誇りと感謝を持ちなさいと老子は教えているのだ。
世界中が道のことを神とか、キリストとかムハンマドとかいう名前をつけて、どちらが本当の存在なのかと戦争をしている。愚かなことだ。

名前をつけた瞬間から本当の存在から完全に異なるものになってしまっているんだ。


道にはゴールは無い。どこまでも続く道それが、根源的な存在なのだ。道は未知という言葉と同じように意味を持つ。
どこまでも行っても答えの無い、果てしなく時間も 空間もエンドレスでは繋がっているのだ。
無始無終の世界を未知の道、根源的な存在、陰陽の動的平衡システムを「道」と、老子は表現したのだ。

「み」は古代の大和言葉で神様を意味する。「ち」は神様の知恵やエネルギーをぶものを意味する。まさに、道は神様の知恵を永遠に運ぶシステムなのだ。

古代の日本人は老子の道の思想に感動して、あらゆる人間の行為に道という言葉をつけたのだ。例えば、茶道、剣道、柔道、華道と何でも一生懸命に人間が何かをやり続けると根源的なな存在と人間が繋がる道を歩いていると信じているのだ。

二時限目講座タイトル「福岡伸一の動的平衡2」を解説する。

解説:道とは太極図の陰陽の渦の原理で全てが営むシステムをいうのだ。相互依存で同時に相互補完の動的平衡の動きを道というのだ。

動的平衡とは、絶え間なく消長、交換、変化しているにも関わらず、全体として一定のバランス、つまり恒常性が保たれるシステム。


絶え間なく動き、それでいてバランスを保つ。動的とは、単に移動のことではない。合成と分解、そして、内部と外部との物質、エネルギー情報のやり取りなのだ。

水の流れに見る動的平衡の美しさ。
ねじれのようであり、螺旋のようであり、少しづつ形を変えつつ、ある種の平衡を保っている。しかも、二度と同じように水でない。しかし、流れは常にそこにある。

多様性が動的平衡の強靭さを支えている。地上には一千万種類以上の生物が生存する。生命の多様性は動的だからこそ恒常性が保たれる。
企業も人間もどれだけ自分の人生に多様性を持っているかが生存の条件に直結するのだ。

解説:生命は動的平衡に宿り、それが道を形成する!西洋は石や鉄で建物を強固にしている時間的破壊のエントロピー増大の法則に対抗する。日本は伊勢神宮の20年ごとの式年遷宮の儀式のように神社の破壊と建造を繰り返す生命の動的平衡を取り入れている。


人生は「センス・オブ・ワンダー」を追いかける旅である。
神秘さや不思議さに目を見張る感性。
自然て対する畏敬の念、驚きの気持ちを持ちつづける。
道の存在の凄さに気がつくと感謝と畏敬の念が心の畑に芽生える。

解説 :人生の価値は息を飲み込むほどの感動を何回経験したかで決まるのだ。

生命を貫く流れは、生命の内部に渦を形成したあと、環境の中へそれは摂取した肉がアミノ酸になり、身体のタンパク質として再構成され、次の瞬間、たちまち分解されて排泄されることであり、燃焼され熱を生み出した後、呼吸中の二酸化炭素となって大気中に流れだし植物の手に受け渡されることである。人体の構成要素成分のうち、約二十パーセントは二十のアミノ酸が結合して出来た筋肉や臓器などを作るタンパク質である。残りは水だ。人はアミノ酸を摂るために食べているのである。基本的にタンパク質は貯めることが出来ない。タンパク質は常に高速度の分解に晒されている。私たちは毎日六十gのタンパク質を分解し、体外に排出しなければ生きられないのだ。
生命は一直線に死に向かうことに抵抗している。

「ニッチ」とは、全ての生物が守っている自分のためのわずかな窪みのことだ。それぞれが美味しいと思うタンパク質は、完全に仕分けされているのだ。それは道を生きる上での無益な争いを回避するのだなのだ。
アゲハチョウはミカン類かサンショウの葉しかし、食べない。近縁種のキアゲハはパセリかにんじんの葉しか食べない。ジャコウアゲハはウマノスズクサという奇妙な葉しか食べない。チョウの幼虫は自分の食性以外の葉には見向きもしない。違う葉をおいても食べないで餓死するぐらい自分の分際を頑なに守っているのである。この窪みは排泄により他の生き物と繋がる連結部でもあるのだ。


生命の進化の過程で重要なことは実は「負ける」ことである。
夜行性のネズミが恐竜との生存競争に負けて、夜間しか活動をしないで、暖かな地下の穴蔵にて暮らす生活を何億年もの間強いられて生きたのです。それが、哺乳類の元祖である。ネズミが恐竜が跋扈したジュラ紀白亜紀にも生き延び,氷河期にも生存出来た理由である。
進化は負けたものが最後には勝つのである。

解説:第二次世界戦争で負けたはずの日本とドイツと西洋諸国により侵略されていた中国が世界の金融資産のほとんどを保有する牛耳る現代にも似ている。老子は負けるが勝ちと教えている。

トウモノコシが支配する地球?
人類は3・5億トン、トウモロコシは8億トン、小麦6億トン、米 が支配する5億トン。トウモノコシが人間を使い世話をさせて繁殖している地球の支配者であるのだ。宇宙人が見ればそのように見えるのだ。

解説:全てが視点を変えると全く異なる認識となる。色即是空とは、目に見えるものは、ただ在るだけ、何も色はついていない。全てが空である。色をつけるのは人間の意識である。悲しい色を着けるのか?喜びの色を着けるのか?幸福か幸福でないか?
それはあなたの意識が作るのだ。デカルトの「我思う故に我あり」とはすべてか意識が作るイルージヨンなのだ。



講座(デスカッションテーマ)

1)アミノ酸という生命の構成要素に見る道のシステムについて

2)なぜ動物が誕生したのか?必須アミノ酸の物語。

137億年前に宇宙が誕生して、地球が46億年前に鉱物の固まりとして誕生した。やがて、38億年前に生命体、バクテリアや藻が誕生する。
二十億年前に進化のために動物が雌雄の区別とセックス殿様引き換えに、寿命つまり、死を手にした。
植物生命体は、窒素を取り入れて光合成ではなく生命維持に必要な全ての生命の素であるアミノ酸を自前で作ることが出来た。その中で、海にた漂うだけでなく、積極的に自ら必要な養分を手にしたいと思う植物は、、鞭毛を作り動くシステムと養分つまり、餌を認識する知覚システムを手にした入れるために、全てのアミノ酸を自前で作る機能を失う条件で、動き、餌を認識する機能を手に入れた。人間は5百種類あるアミノ酸の中から、二十種類のアミノ酸を使い、筋肉や臓器などのタンパク質を使い、形成する。各動物で、生きる上で、自分では作れないアミノ酸である必須アミノ酸は、9種類,犬の必須アミノ酸は10種類、猫や魚は11種類。肉食獣である猫類は餌が動物であるので高い運動能力が必要である。魚は常に動き回る海での高い運動能力が必要であるために、11のアミノ酸を作る能力を放棄して、高い運動能力を手にした。犬は雑食性であるために10種類の少ない必須アミノ酸製造能力を放棄する選択をした。人間は罠や道具を作成するのでわずかに9種類のアミノ酸製造能力しかし、放棄する選択をしたのかもしれない。ゲームのキャラクターの設定がそうであるように、全ての動植物はあると枠の中での選択をしている。この地上のゲームを楽しんでいるのかもしれない。

幸福論討議テーマ

1)十七年蝉は幸福か?
土の中でほとんどを過ごし、交尾のためだけに地上に出てくる蝉は哀れな存在であろうか?
2)カゲロウの口は何故無いのか?カゲロウは幸福か?
ほとんどの時間を水の中でひっそりと過ごし、交尾の為だけに地上に出てくるカゲロウには身体を軽くしてより高く舞うために口の機能が消滅している。食事もせずに交尾のために僅かな時間をいきる。彼らは幸福か?

3)心を上手に透視する方法

トルステンハーフェナ氏の秘密の技を実験します。
人は瞳孔やがて仕草で心を表現する実演会をします。
[PR]

by masashirou | 2012-02-04 11:29  

<< 地熱発電の時代を創ろう 親コンの記事が掲載されました >>