希望の21世紀の「稲むらの火」

三井物産の決意はすごい!
江戸末期の安政の津波で被災した和歌山県に伝わる偉人の物語を思い出す。
『小泉八雲「A Living God」;稲むらの火』として小泉八雲が書いた実話の物語である。
b0072881_17111159.jpg稲むらの火(いなむらのひ)は、1854年(安政元年)の安政南海地震津波に際して紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)で起きた故事をもとにした物語。地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説く。小泉八雲の英語による作品を中井常蔵が翻訳・再話し、かつて国定国語教科書に掲載されていた。主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛(梧陵)である。b0072881_1711505.jpg


運命の不思議な事に東北大震災の3.11の1ヶ月後の今年の4月の2011年度より、再び小学校教科書にて掲載される事に成っていた。神様からの日本人の子供たちへのメッセージに違いない。

不思議と言えば、再生可能エネルギー法案が閣議決定した直後に3.11震災が発生したのも神の采配なのです。

ヤマサ醬油七代目の当主で有った庄屋さんの濱口儀兵衛が津波の到来を知らしめるために、自分が刈り取った稲に火をつけて高台に村人を誘導した。
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彼のすごいのはこれからである。

三井物産の社長さんのように、被災した村人に次から次へと再建のために鍬製造や船製造などを江戸から職人を招聘し、仕事をあたえて、村人に、日々の暮らしに生き甲斐と未来への展望を指し示したのである。

最後には私財を投げ出して、長期的な雇用を生み出す仕事としてなんと個人で堤防建築事業を村人にさせて仕事をしながら生活再生する支援をしたのである。

先日訪れた福島市や郡山市のホテルはいがいにも満杯で予約してもなかなかとれない状況である。

高級料理店も盛況である。

保険業者や建築業者や東京ゼネコンやなどの宿泊客などによる原発補償と復興バブルの状態である。

東京電力から今月までに1000億円に上る補償金や様々な肉親の生命保険や地震保険などの莫大な現金が福島県に投入された。

郡山のヴィトンの高級バッグの売り上げが前年比で200%である。現金を手にした女性たちが高級品を購入し始めている。

男たちはお金を持って避難所から毎日パチンコ店やギャンブル場に出かけ、ギャンブル中毒に落ちる人が増えている。

そんな話を郡山の有力な知人から話を聞いて驚いた。

突然の避難生活で、将来が見えない。仕事ができない。
仮設住宅にはいると、三食と光熱費を支払う事に成る。
お金がかからない不便な避難所に戻る人が増えている。
福島県だけで避難生活を余儀なくされている原発避難民が数万人いる。

しかし、すぐそこには無傷の住み慣れた我が家が有る。職場が有る。しかし、眼に見えない放射能汚染でその家に帰る事も出来ない。職場は閉鎖されたままである。ストレス状態の中で、多額のお金が東京から舞い降りてくる。

原発事故災害特有のどうしようもないいらだちが被災民の心を蝕んでいく。

混迷する政府の災害復興の方針が見えない。

政府を当てにせずまず自分で行動する地方の指導者が立ち上がる時がきた。

地元に仕事を作る。

生きる希望を高く掲げる。

希望が有れば、どんなにつらい状況でも人間は生きていける。

三井物産やソフトバンクの孫社長などのように、理屈より、将来の雇用が誕生するという希望を生み出す経営者たちを支援しよう。マスコミは孫社長や彼らをお金儲けで善意の仮面をかぶる偽善者で有ると中傷する。

いいではないか。

今必要なのは彼らがともす希望の21世紀の「稲むらの火」なのである。



資料1)(2011年7月6日14時34分 読売新聞)被災地にメガソーラー建設…3万世帯分の電力

 大手商社の三井物産が、東日本大震災の被災地である宮城、岩手、福島県などに大規模太陽光発電所(メガソーラー)を建設する方針を固めたことが6日、わかった。

 被災地の電力不足を解消して復興への足がかりを提供するとともに、雇用の場を提供する狙いがあり、早ければ今年度中にも着工する方向だ。被災地域で初のメガソーラー計画で、すでに候補地の自治体や、電力の売り先である東北電力と協議を進めている。

 三井物産は、複数地点にメガソーラーを建設する計画だ。発電能力は計約10万キロ・ワット規模とする方向で、被災地の約3万世帯の電力を賄えるという。年間を通じて風が強い地点には、風力発電装置も併設することも検討している。

資料2)ウキペディアから

物語の概要稲むらの火(いなむらのひ)は、1854年(安政元年)の安政南海地震津波に際して紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)で起きた故事をもとにした物語。地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説く。小泉八雲の英語による作品を中井常蔵が翻訳・再話し、かつて国定国語教科書に掲載されていた。主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛(梧陵)である。2011年度より、再び小学校教科書にて掲載される。




「稲むら」(稲叢)とは積み重ねられた稲の束のこと。稲は刈り取りのあと天日で干してから脱穀するが、上のように稲架(はさ)に架けられた状態を「稲むら」と呼ぶ。ただし脱穀後の藁の山も「稲むら」と言うことがある。
村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られたのだ。


物語の成立と普及
小泉八雲「A Living God」


広川町役場前の「稲むらの火広場」にある浜口梧陵の銅像
1896年、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、英語によって "A Living God " を著した。西洋と日本との「神」の考え方の違いについて触れた文章であり、この中で人並はずれた偉業を行ったことによって「生き神様」として慕われている紀州有田の農村の長「浜口五兵衛」の物語を紹介した。
小泉八雲は作中にも触れられている明治三陸地震津波の情報を聞き、この作品を記したと推測されている。ただし地震の揺れ方や津波の襲来回数など、史実と異なる部分も多い。また「地震から復興を遂げたのち、五兵衛が存命中にもかかわらず神社が建てられた」とする点は誤りである。
中井常蔵「稲むらの火」

小泉八雲の作品を読んで感銘を受けた地元湯浅町出身の小学校教員中井常蔵(1907 - 1994年)は、1934年(昭和9年)に文部省国定国語教科書の教材公募が行われると、 "A Living God " を児童向けに翻訳・再構成し、「燃ゆる稲むら」として応募した。この作品は入選して国語教材としてそのまま採用され、1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)まで、国定教科書である尋常小学校5年生用「小学国語読本巻十」と「初等科国語六」に「稲むらの火」と題されて掲載された。  2011年の5年生では、 百年後のふるさとを守る という題名だ。      (河田 恵昭)

「稲むらの火」では、具体的な年代や場所などの記述が省かれ、普遍的な物語として構成されている。
海外への普及
小泉八雲の著作によって、この物語は海外にも知られている。濱口儀兵衛(梧陵)の末子・濱口担が1903年(明治36年)にロンドンのThe Japan Societyで講演した際に、"A Living God "を通じて「五兵衛」の偉業に感銘を受けていた婦人と出会った逸話がある[1]。
1993年頃アメリカ合衆国コロラド州の小学校では、「稲むらの火」を英訳した "The Burning of The rice Field "が副読本として使われていた[2]。
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稲むらの写真


史実との異同

詳細は「浜口梧陵」を参照
「稲むらの火」は濱口儀兵衛(梧陵)の史実に基づいてはいるものの、実際とは異なる部分がある。これは小泉八雲の誤解にもとづくものであるが、翻訳・再話をおこなった中井常蔵(地元出身であり、濱口儀兵衛らが創設した耐久中学校を卒業している)もあえて踏襲した。史実と物語の違いは国定教科書採用時にも認識されていたが、五兵衛の犠牲的精神という主題と、小泉・中井による文章表現の美しさから、安政南海地震津波の記録としての正確性よりも教材としての感銘が優先された。
農村の高台に住む年老いた村長とされている五兵衛に対して、史実の儀兵衛は指導的な商人であったがまだ30代で、その家は町中にあった。また、儀兵衛が燃やしたのは稲穂のついた稲の束ではなく、脱穀を終えた藁の山(これも「稲むら」と呼ぶことがある)であった(津波の発生日が12月24日〈新暦換算〉で、真冬であることに注意)。また、儀兵衛が火を付けたのは津波を予知してではなく、津波が来襲してからであり、暗闇の中で村人に安全な避難路を示すためであった。
「稲むらの火」には描かれていないが、儀兵衛の偉業は災害に際して迅速な避難に貢献したことばかりではなく、被災後も将来再び同様の災害が起こることを慮り、私財を投じて防潮堤を築造した点にもある。これにより広川町の中心部では、昭和の東南海地震・南海地震による津波に際して被害を免れた。b0072881_17162966.jpg
津波の襲った広川湾の写真


防災の教材として
日本において、津波に関する物語のうち広く知られた作品である。発生が予測される東南海地震・南海地震などでの津波災害に対する防災意識を喚起する物語として注目されている。2003年3月に和歌山県で開催された「西太平洋地震・津波防災シンポジウム」に際して気象庁が「稲むらの火」に関するパンフレットを作成しており、インターネット上で公開されている

なお、物語の中で取り上げられている現象(異様に潮が退く・井戸の水位が極端に下がる)は、津波が発生する時に見られる特異現象の1つではあるが、必ずしもそういった現状が起きるとは限らないため注意が必要である。


逸話

1987年9月、「稲むらの火」作者の中井常蔵は国土庁から防災功績者表彰を受けた。
2005年1月、インド洋大津波をうけてジャカルタで開催された東南アジア諸国連合緊急首脳会議でシンガポールのリー・シェンロン首相が当時の小泉純一郎総理大臣に「日本では小学校教科書に『稲むらの火』という話があって、子供の時から津波対策を教えているというが、事実か?」と尋ねた。しかし、小泉は戦後世代なのでこの話を知らなかった。東京の文部科学省に照会したが、誰も知らなかったということである
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by masashirou | 2011-07-08 17:23  

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