老荘思想と現代自由人論の講座、受講完了されておめでとうございます

老荘思想と現代自由人論の講座、受講完了されておめでとうございます。皆様の論文を読ませていただきレベルの高さに驚きました。
それぞれの人生を振り返られて、いいことが半分悪いことが半分と、陰陽で人生の幸不幸を山や谷を分析されている論文や、企業コンプライアンスと老子やブルースリーと老子や夫婦と老子を解釈したユニークな論文も有りました。皆さんが老子を通して深く自分の人生を哲学した優れた論文ばかりでした。有り難うございます。

私が深く老子を愛する理由をお話ししましょう。それは初めての子どもが誕生したときに両手、両足の指が欠損する子供を神様から授かり、なんで私の子供に障害があるのかと悩んだ経験が有ります。その理由を求めるために、10年間様々な哲学書や宗教書を勉強しました。35歳のときにけがをして43日間湯布院の病院で療養中に老子に出会いました。
すべての出来事に意味が有る。無用の用という考え方や、災いが幸福の種になるという「禍福あざなえる縄の如し」「人間すべて塞翁が馬」という考え方に出会いました。それは衝撃的な出会いでした。救われました。自分が18歳まで吃りで自閉症で一言も友人と話さなかった子供時代のことも含めて救われました。それから23年間、人生で困難なことがたくさん遭遇しました。仕事で周りがすべて反対者の中で、新エネルギーの開発を推進した時も、老子的思考方法で対処して成功しました。老子哲学は孔子の論語と異なり、弱者目線の柔らかな知恵です。すべてから見放され、絶望した時でも、とてもたよりになる実践哲学です。ものの見方が変わります。いいこととか悪いこととかすべてに損と得で判断していた自分が抽象度が数段上がった視点からものが見えてきます。悪いことがいいことの種と思えば人生から悪いことが消えてしまいます。すべていいことが雪崩のように押し寄せてきます。陰と陽と区別していた自分が小さく見えてきます。「悟り」とは「差をとる」ことです。陰や陽や陰の陽や陽の陰と区分している自分が小さく見えてきます。一つになります。自分も他人も一つになります。地球のすべてのものと一つになります。銀河宇宙と一つに待った自分を感じるときがきます。老子は面白くて楽しくて愉快です。これからもぜひ、「白木正四郎のブログ」で老子のついていろいろな発見を書いていきますので、一緒に道を学びましょう。以下は最近のブログから選んだものです。


『四分の一の奇跡、それは本当の事だから』

3.11以降の日本人の心に『ありがとう』という心が生まれました。『ありがとう』の反対語はなんでしょうか?それは『当たり前』という言葉です。老荘思想は気づきの哲学とよく言われます。老子はこの当たり前が奇跡的な出来事なんだと気づかせてくれます。自分に無いものばかりを数えて、天や世間を恨んで生きるよりも、有るものに日々を感謝して生きる。それが2500年のときを超えて老子が現代人に伝えたいことです。

この世に生まれながらに障害をもって誕生する子供たちがいます。老子は、無用の用。この世に存在するものには何か貴重な使命があるといいます。鎌状赤血球という血液に異常をも子供たちの存在が実は人類が将来遭遇する難病を生き残る役割が有ったと山元加津子さんは述べられている。最近、山元加津子さんの「四分の一の奇跡、それは本当の事だから」というドキュメント映画を見ました。

山元加津子さんは映画の中でこう語ります。

「アフリカのある集落で、マラリアが発生しました。ただひとつの集落が絶滅せず多くの人が生き残りました。研究者がその秘密を解明しました。その集落にすむ人には特殊の鎌状赤血球という赤血球を持つ人たちが発見されました。鎌状赤血球を持たない25%の人はマラリアで亡くなります。鎌状赤血球をもつと25%が成人になる前に死亡するか重い障害を持つのです。鎌状赤血球をもつ残りの50%の人は障害が発症せず人生を全うします。研究者は25%の鎌状赤血球を保有して重い障害を引き受ける人たちが存在しなければ、その集落の人間はほかの集落の人たちと同じように全滅したに違いないといいました。古代のアステカ文明の織物の文様に6つの指の手の文様の周りに5本指の手の文様が曼荼羅のように描かれています。古代において、障害をもってこの世に誕生する人間は神様から大切なメッセンジャーとしてあがめられたそうです。すべての存在に価値がある。」

老子の「無用の用」の原理を古代の人間たちは知っていました。

この映画に登場する大助君の詩をご紹介します。大助君という脳に重大な障害を抱える少年です。その詩はこのような詩です。

「葉っぱだって、石ころだって、そこにあるだけで心を動かす力がある。

それが「ある」ってゆうことなんかな?

僕だってそこに「ある」

「有る」ものはみんなたいせつなんや。

僕が生まれたのには、理由がある。

生まれるってことにはみんな理由がある。


老子哲学を一言で言うと、「ありがとう」という言葉に集約されます。





『臆病もののサムライ選手』



名門サッカーチームのインテルに移籍した長友選手が「臆病もののサムライ選手」との新聞が酷評する。素晴らしい、いつもの長友らしいプレーが出来ないでいました。

どうしてもゴールまでの道のりが試合中に見えない。どうしても他の選手にせっかく手にしたボールを譲る自分がいる。
見えない。ゴールが見えない。苦しんだあげく、長いスランプでスタメンからはずされる。心の弱さだ。メンタルの弱さが致命的な欠点だと知る。
「最終ゴールへの勢いを躊躇させる。失敗すれば笑われる。いつもゴールを逃げる自分がいる。彼は気づく。

「ありがとう。感謝だ。」

感謝の心が他者の動きが見える心を作る。「ありがとう」という言葉は他者を見る目がないと気づかない。他者の目で自分を見る。自分を抽象化してみる。当たり前のことが有り難く思えた時、彼は変わる。
「朝起きて朝食をうまいと感じる。太陽が山から顔を見せる。まばゆい朝日の光、太陽が山のシルエットに沈む夕日を美しい」と思う。そういう言葉が自然体で出てきた。
感謝は他者を見つめる暖かい眼差しが不可欠だ。

すべての宗教が『感謝』を教えている。真理は大変シンプル。ただ、ありがとうと言えばいい。

次の日、彼は単独で初ゴールを決めた。





『素晴らしき哉人生』

人間は時々考えます。「自分は生きている価値があるのだろうか?」と。

昨夜、素晴らしい古いアメリカ映画ジェームス/スチュアート主演「邦題;素晴らしき哉人生」『ITS WANDERFUL WORLD!』を見ました。

物語はあるアメリカの田舎町。父が創設した貧しい人のための庶民住宅金融機関に。父が急死したために、、自分の大学進学や建築家になる夢や海外雄飛の夢を捨て、一生を捧げた男が主人公である。
優秀な彼は町を牛耳る悪いお金持ちの企業乗っ取り買収や妨害工作をはねのけて、順調に事業が拡大させた。

しかし、ある日、叔父が銀行窓口で8000ドルのお金がそのお金持ちに盗まれてしまう。銀行の株主でもある金持ちは主人公を警察に告訴した。主人公と叔父は横領の罪で刑務所に収監されることになる。幸福な生活がクリスマスを前に絶望の人生に転落する。主人公は人がかわったように、妻や子供や周辺の人に罵声を浴びせかける。交通事故をおこし、けがをした主人公。雪の降りしきる冷たい川を見つめている。ポケットには受取額16000ドルの生命保険書がある。

「人生のすべてを無駄であった。」そして橋の上から身を投げようとする。
そのとき見習い天使で、羽の無いおじいさんが現れて、彼が先に川に身を投げる。主人公は天使を川に飛び込んで救う。
「生まれてこなければよかった!」という主人公に、天使は、彼が存在しなかった世界を体験させるのだ。すべての町の人たちの人生を主人公に見せる。生きていたら英雄の勲章をもらうはずの愛する弟は、主人公が弟の水死事故から助けないので、死亡している。静寂な町だった故郷は、町中に悪いお金持ちが経営するストリップ劇場や賭博場や歓楽施設だらけ、貧しい人たちは悪いお金持ちの高い家賃の借家住んで苦しい生活を強いられていた。みんな不機嫌で喧嘩ばかりばかりしている。優しい母もきたない下宿屋のおばさんになってぎすぎすした性格で見知らぬ主人公を追い出す。

最愛の妻も図書館の管理をする魅力の無い中年女になって、不幸せそうにしている。主人公は自分の人生が多くの人に影響を与えていた事実に気がついた。「生きているだけで幸福だ」と気がついた主人公は家に戻って、きつくあたった妻や子供たち心から感謝のキッスをして抱きしめる。

「生きているから刑務所に行けるんだ。」と叫ぶ!

そのとき、町中の人が主人公の危機を聞きつけ、主人公を助けるためにお金を持ちより、8000ドルのお金が届けられる。欧州に旅行中の妻を奪い合った幼なじみの経営者から2万5000ドルが電送されてたというニュースが伝えられる。見習い天使には羽が贈られてエンドの字幕がスクリーンにロールする。

ハリウッドがマツカシー議員の赤狩り旋風が吹き荒れる前の映画である。

自分の人生は自分では価値があるとか無いとかわからないものです。
自分の価値とは他人がいて初めてわかるものです。

人生の成功者は喜ばせた他人の数で評価されるという言葉が有るくらいです。


鬱から自宅から引きこもりで外出しなくなった子供や大人が増えています。おおくの原因が、本当の自分をが見つからない。何をしたら生き甲斐を感じるのかわからない。果たして本当の自分がなんなのかわからない。多くの人がまだ見えぬ本当の自分を探して悩んでいます。

老子はそんな人に優しく語りかけます。自分を存在のメリットから自分探しをするのはやめなさい。非存在のデメリットから自分を見つめてごらんなさい。

存在のメリットから自分の価値を見いだそうとすると、いつも頑張ってい無ければならないからくたびれてしまう。非存在のデメリットから自分を見てみよう。

君がいなければお母さんが悲しむよ。それだけで、君はかけがえのない人間なんだよ。なにも立派でなければ存在価値は無いわけでないんだ。

ただ、君がそこにいるだけで、君が存在するだけで喜ぶ人がいる。それはお母さんだよ。

お母さんを泣かせないために生きていようよ。

自分なんて、自分の目で見つけることなんか出来ないんだ。だって、自分の顔を自分で見た人はいないだろう。

自分が見た自分は全て鏡に映る映像やビデオ映像でしかない。本物のリアルな自分は生きている限り見えないんだ。自分は他人をとおしてしか見えないんだ。
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by masashirou | 2011-06-23 17:24  

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