大和言葉と神道と老子(3)

では、次は「き」です。これこそ日本人の精神の神髄です。「き;気、木、帰,季、奇、器、期、貴, 機」などの漢字を当てて古代日本人は「き」を理解しています。代表的なものは、「気」です。「目にみえない奇妙な生命が帰還すべき暗闇から器であるすべての存在(鉱物、植物、動物、人間)に期間を決めて入り込み、機械を動かす奇妙な貴いエネルギー体」を「気」という発音で命名したのです。

日本語で生命現象を表現するのに「気」とい言葉が使われます。「元気、病気、陽気、陰気、気が重い.
気持ちがいい、気持ちが悪い、気味が悪い、気味がいい、気を使う、気がきかない。気分がいい、気分が悪い、正気、狂気、気難しい、気違い、気分屋」など多数あります。

古代日本日本人が「けがれ」をどのように解釈していたのでしょうか?
神道では、「けがれ」は「気」が枯れてしまうことと定義しています。「穢れ」とい漢字で、理解しては誤解してしまいます。

それは、「神様の貴重なエネルギーが枯れてしまうこと」が「けがれ」なのです。ですから「みず;神様が物質化したもの;水」で元の気が出るように清めるのです。
ちなみに、神社のご神体は、なんでしょうか?
そうです。かがみ;鏡です。太宰府天満宮にお参りしますと、驚きの発見がありました。
内宮の神殿に向かう参道の中央を歩きながら、ふたつの灯籠の真ん中に立つと、ご神体の鏡の中に自分の姿が映るのです。そして、驚くべきことに神殿の前に着き、拝んで見上げると、大きなご神体の鏡の上のあるさらに大きなご神体の鏡の中に自分の姿が映し出されるのです。
神道では、人間のアバターである肉体の中には「神様のエネルギーである気」が潜んでいるとこの建築様式から教えているのです。「あなたは神さまなんですよ」と教えているのです。
ですから、「つみ」とはキリスト教や他の宗教とは全く異なる概念を古代日本人は定義しているのです。「罪」とい漢字で理解してはいけません。
「つ」は大和言葉では「丸い」とい意味です。「つ」「つ」と繋げると、丸い形が連続した「つつ;筒」になります。ちなみに。「つき;月」は「丸く」て「奇妙な」という合成語で「つき」ができています。「つ」は「丸い」とい意味ですから、「つみ」とは神さまである本質を布で丸く包んでしまうことなのです。ですから、神道では「つみ」を言葉,みことのりで「神様をたたえる言葉」で風呂敷である布をほどいてやるのです。
ご神体に鏡を用いるのは「かがみ」を見ながら「が:我」を少なくしていくと、「かみ」が現れてくるのです。すごい発想ですね。
そして、ご神体に偶像を使わないことに深い意味があるのです。
老子は神さま的な本源的な存在、。「有ると無いを超えた存在」、いわば、サムシンググレイトな存在を「道」としかたなく名前をつけました。
そして「これが道であるという道は本当の道でない」という不可思議な言葉を残しました。神道では、道を表現するものとして、「鏡」を選んだのです。映像は波動です。すべてが波動なんだ、形に見えるものはすべてが仮の姿、アバターである。
鏡は鏡にあらゆるものものを映し出します。すべてが移り行くもの、すべてが変化するもの。古代の日本人の感性と理解力には感動です。
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by masashirou | 2011-05-15 17:55  

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