映画「ラブリーボーン」という映画を見ればあの世の仕組みがわかる

映画「ラブリーボーン」という映画が上映され、大評判です。今日はその映画から宇宙の仕組みを解説しましょう。



この世が魂がアバターである肉体を借りて様々な経験を楽しむ仮想のバーチャル世界である事がこの映画を見れば良く理解することが出来ます。

物語は、アバターである肉体から魂が、恨みややり残した事がある為に、あの世とこの世の間にさまよう少女の物語です。

天国への中間点にある世界が見事に映像化されていることで評判の映画です。浮遊霊になってしまった少女は自分を殺害した近隣の男を父や妹に告げるためにあの世に向かう扉を開けることが出来ないのです。それと初恋のボーイフレンドの少年とのファーストキスをしたい願いから彷徨う浮遊霊となり苦しんでいます。

最近のあの世の世界の研究が急激に世界中で量子力学や宇宙工学や、脳機能工学の進化で進んだ影響で、この映画も科学的な裏付けに沿って脚本が練られています。

昔のハリウッド映画なら勧善懲悪で、犯人は厳しい罰で死んでしまうストーリー、たとえば「ニューヨークのゴースト」のように、犯人が死ぬと黒い悪魔みたいな複数の影が地獄に引きずり込むみたいなシーンが出てきて観客は納得し、安心できるストーリー展開でした。やっぱり悪いことをすると、地獄に堕ちるんだ!と安心します。事実、この映画が上映された3週間のニューヨークの犯罪が30%も激減しました。これは犯罪抑止にいかにメディアが重要であるか示唆していますね。話が少しそれたので映画に戻りましょう。

ところが、この映画は、最近の霊のシステム解釈に従い、脚本が作られているので、浮遊霊の少女の活躍は犯人に風を吹きかけるくらいの仕返ししかできないのです。肉体から離れた幽体の限界を悲しいまでに描き出しています。その結果、エンディングは、なかなか許し難い結末になっています。死んでしまうとバーチャルの世界のこの世の事は全て、許しの対象になるのです。「その通り」と最近あの世の仕組みを研究していると左脳では理解していますが、右脳では、犯人が警察にも捕まらないので後味が良くないのです。善人が次々と理不尽な不孝に巻き込まれます。胸が苦しくなります。

聖書にも「死者は生者をわずらわせず」という言葉があるように、肉体を離れた幽体の霊魂はこの地上世界では、むなしい存在です。映画では、自分の死体が金庫のなかに封印されて、大きな穴に犯人が転がして捨てようとする現場が最後に描かれています。観客は少女が復讐にきたと期待します。その期待は裏切られました。なんと、少女の浮遊霊は、復讐より、霊が見える女の肉体に憑依して、その女と交際をし始めたあこがれのボーイフレンドとキスをするのです。


このシーンには深い意味があります。このあと少女は犯人に復讐することなく、天国に旅立っていく。これを見れば、幽体の霊がいかに肉体をとうしてしか得られない感動を求めて、また、孤独を癒すために、他者との繋がりを求めているかが良く理解できます。地上の憎しみは仮想世界の出来事です。肉体から離れた魂は復讐という感情よりも恋人とのキスを最後に求めるのです。他者とであい、愛し合う、触れ合う。この為に宇宙のビッグバーンをおこしたのです


最近、あの世の事ばかり考えていましたので、映画を見ていると息苦しくなって、席を立とうと思ったくらいくらい悲しい映画でした。しかし、あの世は美しく平和な恨みのない世界であると描かれています。これは事実です。映画には霊を見ることが出来る不思議な少女が登場します。見えないものを見ることが出来る人間もいると思います。映画館の前の席には多くの浮遊霊がたくさん、見に来ていました。途中で出ていく男性もいたくらいです。私も、身体が異様な痛みと寒気と吐き気を覚えました。映画の後で、気持ちが悪くなり、近くの九州伊勢神宮に立ち寄り、陰気な気をお払いにお参りをしました。

考えてみると、生きている限り、死なないのである。あまり、死後のことなど真剣に考えないで、生きている人生の一日一日を楽しんで生きることに専念した方がいいと改めて、気がつきました

全てがわかるという事は不可能です。鏡の部屋で自分探しをしているような感じです。ひとつの疑問が解決したら次々と新しい疑問が沸いてきます。あの世とこの世のシステムは次第にわかってきましたが、それがどのようにシステム運営されている仕組みが解明されても、肝心のどうして陰の宇宙と陽の宇宙が「ある」のか?いう根源的な存在する意味論は永遠の謎です。



それはお釈迦様や老子様でもわからなかった謎であり、問だったのです・・・。


それほど、宇宙の根源は深く、複雑であり、広大で、また同時に浅く、極小で、太極図の紋様に従い、単純でシンプルです。

ただ、この世が仮想で、バーチャルの脳が描き出した世界だと左脳で理解することが、右脳の欲望と煩悩の世界から人間が解脱することに役に立つことは事実です。

それが、釈迦様が涅槃の時に説いた教え「仏遺教経」の「吾は唯足るを知る」と老子が最も大切な言葉として後世に残した「知足」をより実行する勇気を与えるという意味があるのです。


日々感謝。一日一日、「足を知る」生き方をするだけでいいんだ。「悟り」はもういいと考えるようになった一日でした。

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by masashirou | 2010-02-12 12:58  

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